SUGIZO
SUGIZO(スギゾー、1969年〈昭和44年〉7月8日 - )は、日本のロックミュージシャン、音楽プロデューサー。LUNA SEA、X JAPAN及びTHE LAST ROCKSTARSのギタリスト・ヴァイオリニスト[2]。愛称は「スギちゃん」、「スギ様」[要出典]。 経歴
人物
神奈川県秦野市出身。神奈川県立伊勢原高等学校卒業。身長175cm。血液型はO型。 出生時の本名は「杉原 康弘」だが、2度改名しており、1度目の改名では杉原 悠、現在は杉原 有音(すぎはら ゆうね)。 妹にシンガーソングライターの彩月がいる。 音楽両親がオーケストラ(東京都交響楽団)の団員という音楽一家に生まれ(父親はトランペット、母親はチェロ)、3歳の頃からヴァイオリンを学ぶ。篠崎功子に師事。 中学1年(13歳当時)の時にYMOとジャパンとRCサクセションを聞き、これが初めてのロックとの出会いとなる。「これだ」と直感的に感じたのと同時に、音楽でやっていきたいという思いが湧き起こり、頭の中には既にステージに立っている自分の姿すら浮かんでいて、プロになりたいというところまで考えが及んでいた。その後、パンクが好きになり、「パンクスもどきの真似小僧」になり、高校1年生の時は何もしないで遊んでいた。フラフラ遊びながらも、「俺は何をしたいのかな」と悩み、最終的に行き着いたのが音楽だった。高校2年生の時からは「ギター一辺倒」で、当時は「これをやりたい」という音楽がなかったのと、たまたまやっていたバンドがメタル系だったため、「テクニックを磨くにはヘビメタがいい」と思い、だんだんのめり込んでいった[7]。 クラシック育ちだが、幼い頃は「偉大な昔の作曲家が作った音楽を、いわば『コピー』するわけでしょ。今ではそれはそれで素晴らしいことだなって思うんだけど、当時はそれがイヤだった」、「やるんだったら、自分で曲を書きたかった」と言っており、「曲といえるかどうかはわからないけど、ピアノを弾きながら音を譜面に書くっていうことは、小学校の低学年からしてましたね。初めてちゃんとした曲を作ったのは、18才か17才で自分のバンド(PINOCCHIO)を作った時。」[7]と語っている。 ロックのカルチャー・ショックを受けてすぐに楽器が欲しくなったが、「なぜかわからないけど」アコースティック・ギターを購入。そしてコードをひとつふたつ覚えただけで弾かなくなり、その後「曲を聞いてもベースの音ばかり耳に入ってきてた」のでベースに興味を持つ。自分にいちばんフィットするものを探すため、ベースの他にもピアノやキーボード、トランペット等も試した。今では「ギターが体の一部っていうか、話すための道具みたいなもの」だと言っている[7]。 初めてのバンドは、先輩に誘われてベースとして入ったバンド。しかし、何か納得いかない中でギターと再び出会い、「やっと巡り合えた」と感じ、ギターに転向。理論的にどの楽器がいちばん可能性があるかなどと考えていたが、結局は「手で触った感覚がギターがいちばんしっくりくる」という理由でギターを選んだ[7]。 LUNA SEAでは、初めてツイン・ギターを体験する。LUNA SEAはSUGIZOもINORANも「リード」「リズム」の両方を互いにこなすが、SUGIZOの立ち位置はステージ上手側で、インディーズの頃の1曲以外すべてのギター・ソロをSUGIZOが担当している。クレジットされているギターとヴァイオリン以外にも、DTM、サンプリング、ベース、シタール、胡弓なども用いていた他、メンバー中最も多くの楽曲でコーラスを担当していた。X JAPANではHIDEが担当していたパートを担うようになったため、リードギターを担当している(立ち位置もHIDEと同じステージ上手側)。アームの使い方をあまり知らなかった為、INORANに教えてもらっていた。 アームやワーミー、(本人いわく「ブフャー・ギター」)、ディレイを多用する。最初に買ったエフェクターはディレイとディストーションで、その次にワーミー・ペダルを購入し、ワーミーに対する深い愛を持っている[8]。 LUNA SEAを始めてから「クラシックを習っていて良かった」と思うようになった。しかし、クラシックの理論や知識があった為、作曲をするようになった頃は、それに縛られ、「音っていうのはこういうふうに重ねるものだから」と思い込み、それがかえって自分の発想の邪魔となり、作曲がうまくいかなかった。また、クラシックが基礎にあるミュージシャンにしてはめずらしく、「やりたいことは何でもやっちゃえ。音楽に法律はない」という考えを持っており、それは過去に「クラシックや様式美を拒否していたから」と語っている。同時に、「パンク、あんな下手なのは駄目だ」という考えも持っており、テクニックの研鑽にも力を入れた[7]。 「凝り性で、完璧主義者」と自認するように、音楽性、サウンド面はもちろん、ライブ会場の設営にも細かく指示を出す。ライブ会場ではステージだけではなく、観客席のチェックもする。ライブのドキュメンタリー映像では度々スタッフと討論したり、時には衝突する映像も残っている。 自身が尊敬し影響を受けたミュージシャンとして挙げるのは、YMOと土屋昌巳、渡辺香津美、布袋寅泰、DEAD END、フランク・ザッパ、スティーブ・ヴァイ、ロバート・フリップ、ジミ・ヘンドリックス、マイルス・デイヴィス、ジョン・レノン、デヴィッド・ボウイ、ジャパン。ジャパンには特に影響を受けており、高校時代に真矢が「ドラムセットを買うならどんなのを買えばいい?」と相談してきた時、ジャパンのスティーヴ・ジャンセンと同じドラムセットを買うようにアドバイスしたり、ジャパンのトリビュートアルバムには2曲参加(内1曲は自身の初ボーカル曲)という程の思い入れである。 LUNA SEAの結成間もない頃にマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのデビューアルバム『Isn't Anything』に衝撃を受けてからはバンドの音楽性にも影響を与え、ケヴィン・シールズのギターサウンドを憑りつかれた様に研究していたという[9]。 真矢とは高校からの友人。お互いの第一印象は「タチが悪そう」(真矢はパンチパーマで、SUGIZOは目が隠れるほど長い前髪にパーマをかけていた)。ともに軽音楽部に所属していた。 趣味・趣向自他共に認めるオタクであり、宇宙や考古学、ナチズム[注 1]、天文学、スター・ウォーズ、スタートレック、生物学、エヴァンゲリオン、007、ガンダムなどに関心がある。 中学では、バレーボール部に在籍していた。 両胸〜両肩〜両腕〜両手手の甲にかけてタトゥーを施している。 デビュー当時からずっと愛用しているシルバーアクセサリーは『ゴッドサイズ』で、その頃からデザイナー・HIROSHIとは親交があり、全てオーダーメイドしている。 車好きであり、ミニクーパー、ロータス・エスプリなどを所有していた。若い頃はボンドカーとして有名なアストンマーティンに憧れており、「自分へのご褒美」として購入を考えていたが、現在では環境問題の観点から燃料電池自動車のトヨタ・MIRAIを所有している。 食生活ではグルテンフリーを心掛けており、また、肉食をほぼ避けている準菜食主義(セミ・ベジタリアン、フレキシタリアン)である。そのためヴィーガン料理を好んで食していることを公言している(X JAPAN ToshI スウィーツ KURENAI」(2015年6月27日配信回))。野菜を中心に、大豆製品(豆腐など)や卵を主に食べることが多い。 一方でラーメンが好物である。特に天下一品のこってりラーメンは30年来の好物と公言している[14]。これが縁で後にCMに出演した。普段はストイックな食生活を心がけているため、天下一品に足を運ぶことは月に1・2回の御褒美であるという。本人曰く「グルテン無礼講」としている[15]。天下一品のスープは野菜を多く使用していることもありSUGIZOの食の拘りに見合っている。そのため、体調が優れない時や元気をつけたい時にも店を訪れ、麺抜きのスープのみをオーダーすることがある[16]。また真矢がプロデュースするラーメン店「天雷軒」にも足を運んでいる。 自身の公式YouTubeチャンネル「SugizoTube」で、天下一品や天雷軒、多数の飲食店での食レポ動画をアップロードすることもある。 社会活動娘(名前はLuna)が生まれてからは(離婚後、妻と娘はアメリカに住んでおり、現在でもオフには娘に会いに行くという。)、環境問題に取り組むようになり、ソロ・ユニット活動と並行しながらイベントなどに多数出演している他、自身のブログなど、インターネット上で度々政治的発言を行うこともある。STOP ROKKASHOにも参加。 ミュージシャンが政治的行動を起こすことが日本では長年にわたり御法度とされていることについてSUGIZOは次のように持論を述べている[17]。
そして彼は自分と違う考えの人間との共存を望み、昔ながらの慣習を変える必要性を説く[17]。
毛皮反対も公言している。ロックなアイテムであるための代替としてフルーツ等の皮を使用したヴィーガンレザーが理想だが未だ開発途上であり、SUGIZOプロデュースのファッションブランド「THE ONENESS」は食肉用動物の廃棄レザーを使用したエコレザーのアイテムを展開している[18]。 自身のソロ活動においては、「アルバムが発売されれば収録されているシングルCDは必要無くなってしまう」という理由で、2009年以降シングルは全てデジタル配信で発表している。 2011年の福島第一原子力発電所事故発生以降は坂本龍一らと共に脱原発を訴えており、2014年には脱原発を争点にして都知事選に出馬した細川護熙と対談を行っている[19]。 2014年に戦争をさせない1000人委員会が発足し、その呼びかけ人に名を連ねる。 2016年3月、シリア難民が暮らすヨルダンの「ザータリ難民キャンプ」「アズラク難民キャンプ」を訪問し、帰国後の6月20日「世界難民の日」に併せ、トーク・イベントやラジオ番組に出演した[20][21]。ステージやテレビ番組出演時に使用するギターには「SAVE SYRIA」と書かれている[22]。 2018年10月13日、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ラマラで、日本企業とパレスチナのNGOの共催で行われた文化交流を促進するイベントに参加し、約45分間で7曲を演奏した[23]。 山本太郎を擁する政治団体「れいわ新選組」を支持している[24]。 2021年10月9日、第49回衆議院議員総選挙を前にしたれいわ新選組の決起大会に駆け付け、「河野太郎、麻生太郎、なかなか素晴らしい〝太郎さん〟がいるが、僕は山本太郎を国会に送りたい。そして、れいわ新選組を躍進させたい。山本太郎さんを国会で躍進させたい。そのために何年も応援させてもらっている」と山本太郎代表にエールを送り、国民の声を聞いていないとして自民党政権の新型コロナウイルス対策を批判した[25]。 使用機材
監修
LUNA SEA以外での活動
また2001年には、映画『サウンドトラック』(監督/二階健)の音楽を担当するだけでなく、自ら主演するなど、様々な分野で活動を続けている。 その他出演作品には、ドラマ「演技者。/REDЯUM」(2002年10月〜11月OA、監督・脚本/二階健、主演/岡本健一、フジテレビ)、映画『ロックンロールミシン』(2002年、監督/行定勲、主演/池内博之)などがある。 2014年、舞台「海峡の光」 (2014年4月11日 - 29日 よみうり大手町ホール)の音楽を担当。 2015年(2017年公開)、映画「TOKYO DECIBELS」の音楽を担当し、出演(黒沢 役)もした。 ディスコグラフィーソロ作品シングルCDシングル
デジタル・シングル
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
サウンドトラック
リミックス・アルバム
コンピレーション・アルバム
オムニバス・アルバム
DVD
The FLARE
Juno Reactor参加作品
X JAPAN参加作品
THE LAST ROCKSTARS参加作品
タイアップ一覧
書籍
サポートミュージシャン・アーティストプロデュース
メディア出演CM・広告テレビ番組
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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