MISSING PIECE
『MISSING PIECE』(ミッシング・ピース)は、日本のシンガーソングライターである氷室京介の6枚目のオリジナル・アルバム。 1996年9月30日にポリドール・レコードのBeatNixレーベルからリリースされた。東芝EMIからの移籍第1弾として、前作『SHAKE THE FAKE』(1994年)以来2年振りのリリースとなった。作詞は松井五郎、松本隆および氷室。全作曲は氷室、プロデュースは氷室および美久月千晴、佐橋佳幸が担当している。 レコーディングは当初日本国内で行われていたが、氷室の要望によりアメリカ合衆国でのレコーディングに変更され、エンジニアとしてニール・ドーフスマンが参加、マスタリングはテッド・ジェンセンによって行われた。本作のテーマはシェル・シルヴァスタインの絵本『ぼくを探しに』(1977年)および『ビッグ・オーとの出会い:続ぼくを探しに』(1982年)を題材としており、アルバムタイトルは同作の原題から名付けられた。氷室が実在の書物を題材にして自身のアルバムタイトルに名付けた作品は、ファースト・アルバム『FLOWERS for ALGERNON』(1988年)より8年振りとなった。 本作からは先行シングルとしてテレビ朝日系テレビドラマ『風の刑事・東京発!』(1995年 - 1996年)主題歌「魂を抱いてくれ」、TBS系音楽番組『COUNT DOWN TV』(1993年 - 2021年)6月度オープニングテーマ「STAY」、日本テレビ系テレビドラマ『グッドラック』(1996年)主題歌「SQUALL」の3曲がシングルカットされた他、翌1997年にダイドードリンコ「ダイドーブレンドコーヒー」CMソングとして使用された「WALTZ」がリカットされた。本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第1位を獲得、売り上げ枚数は80万枚を超えたため日本レコード協会からダブル・プラチナ認定を受けている。 背景前作『SHAKE THE FAKE』(1994年)リリース後、氷室は「SHAKE THE FAKE」と題したコンサートツアーを同年10月12日の横浜アリーナからツアーファイナルとなった12月24日および25日の東京ドーム2日間連続公演まで、8都市全16公演を実施した[4][5]。 1995年に入り、氷室はレコード会社移籍の検討を始める[6]。3月7日には「阪神・淡路大震災チャリティコンサート」に参加、同公演は別枠において布袋寅泰も参加していた[6]。また、このライブを最後に氷室は1998年のコンサートツアー「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」まで3年半に及ぶ期間、ライブを一切行わなかった[7]。7月19日には初のベスト・アルバム『SINGLES』をリリース、同作はオリコンチャート最高位1位を獲得、売上枚数は136.7万枚とミリオン・セラーとなり、また氷室のアルバムにおいて最も売上の高い作品となった。同年に氷室は「BeatNix」という新レーベルを設立、BOØWY時代より10年間所属した東芝EMIからポリドール・レコードに移籍し環境や制作において大きな変化をもたらす事となった[8]。後年氷室は1995年に関して「やらなきゃいけない作業の量から内容からすべてが180度変わる、第二期に突入する(中略)大きなターニングポイントになっています」と述べている[8]。10月25日には移籍第一弾となるシングル「魂を抱いてくれ」をリリース、12月15日には前年のコンサートツアーから東京ドーム公演の模様を収めたライブ・ビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』をリリースした。 録音本作のレコーディングは日本国内のパラダイススタジオ駒沢およびパラダイススタジオイーストの他、アメリカ合衆国のA&Mスタジオ、ロイヤルトーンスタジオ、クリントンスタジオにて行われた。本作の構想はシングル「魂を抱いてくれ」をリリースした頃には始まっていた[6]。ディレクターの臼井克幸は本来であればアップテンポの曲をシングルとしてリリースする事を検討していたが、「魂を抱いてくれ」の松本隆による作詞に感銘した氷室は、シングルでのリリースを要望した[6]。しかし氷室も臼井も同作を軸としてアルバム制作に入るイメージが湧かず、「STAY」および「SQUALL」をシングルでリリースした後にアルバムをリリースする流れに変更する事となった[6]。 同時期に氷室は周囲のスタッフにあらゆる事を依存している事、ミュージシャンとしての活動時間が長くなりすぎて一個人としての時間が持てなくなっていた事に疑問を感じていた[9]。「魂を抱いてくれ」のMV撮影のためにネバダ州を訪れた氷室は、低賃金で働く現地スタッフが汗だくになりながら仕事をしている様を見て、成功は収めたものの虚しさを感じている自身と比較していた[9]。その後氷室は活動の拠点をロサンゼルスに移す事となり、以降のレコーディングはアメリカにて行われる事となった[6]。 音楽性とテーマ本作はファーストアルバム『FLOWERS for ALGERNON』(1988年)がダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』(1959年)を題材とした事と同様に、シェル・シルヴァスタインの絵本『ぼくを探しに』(1977年)および『ビッグ・オーとの出会い:続ぼくを探しに』(1982年)を題材として制作された[9]。氷室は同書の「自らの欠けた破片を探す物語」が当時の自身の心境とリンクしていたと述べ、結果同書の原題である「The missing piece」をアルバムタイトルとして使用する事となった[9]。 ディレクターの臼井は本作のレコーディングには膨大な時間が掛かっている事を述べた他、日本とロサンゼルスにおいて様々なものを探索しながらレコーディングを行った事で一箇所でイメージを固定して制作したアルバムとは異なる作品であるとして、「チャレンジしたアルバムというか、結果的には大作だと思うんです」と述べている[10]。 「NAKED KING ON THE BLIND HORSE」がバージョン違いを含めて2曲収録されている事に関して臼井は「曲が不足しているという理由からではなく全く異なるアプローチによる別の曲」という認識から収録する事になったと述べている[11]。 楽曲
リリース、チャート成績、批評
本作は1996年9月30日にポリドール・レコードのBeatNixレーベルからCDでリリースされた。本作は初回生産分のみ紙ケースで見開き仕様のディスクジャケットになっていた。本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第1位を獲得、登場回数は10回で売り上げ枚数は65.7万枚となった[2]。 本作に関する評価として、音楽情報サイト『CDジャーナル』では「ハードなギター・サウンドにばかり耳が向く」と指摘しながらも、バラード曲に関しては肯定的に評価し「氷室京介のバラード・シンガーとしての魅力は相当なモノ」と称賛した[15]。また氷室のボーカルを「硬質で色気いっぱいに歌う」と表現し、松井五郎や松本隆の詞を歌うスタイルが認知されたときに「矢沢永吉に近い歌謡性を持つはず」と評価した[15]。 収録曲
スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン
録音スタッフ
制作スタッフ
美術スタッフ
チャート、認定
映像作品
本作関連のミュージック・ビデオ集が1997年5月14日にVHSでポリドール・レコードのBeatNixレーベルからリリースされた[18]。 収録曲
スタッフ・クレジット制作スタッフ
その他スタッフ
脚注
参考文献
外部リンク
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