GO (小説)『GO』(ゴー)は、2000年に講談社により発行された金城一紀作の小説。同年の直木賞を受賞した他、2001年10月20日に公開されたこれを原作とする映画化作品は日本国内で数多くの映画賞を受賞した[1]。 あらすじ
在日韓国人の杉原は、日本の普通高校に通う3年生。父親に叩き込まれたボクシングで、ヤクザの息子の加藤や朝鮮学校時代の悪友たちとケンカや悪さに明け暮れる日々を送っている。朝鮮学校時代は「民族学校開校以来のばか」と言われ、社会のクズとして警察にも煙たがれる存在だった。ある日、杉原は加藤の開いたパーティで桜井という風変わりな少女と出会い、ぎこちないデートを重ねながら少しずつお互いの気持ちを近づけていく。そんな時、唯一の尊敬できる友人であったジョンイル(正一)が、些細な誤解から日本人高校生に刺されて命を落とす。親友を失ったショックに愕然としながらも、同胞の敵討ちに向かう仲間には賛同できない杉原は桜井に救いを求め、勇気を振り絞って自分が在日であることを告白する[1]。 登場人物
刊行情報
漫画秋田書店発行の漫画雑誌『ヤングチャンピオン』に連載された。作画は近藤佳文。単行本は全5巻。
映画
2001年10月20日公開の東映映画[3][4][5][6]。日韓提携作品で[5][7]、在日を主人公にした映画としては、初めて日・韓で全国ロードショーされた[7][8]。監督は行定勲、脚本(脚色)は映画脚本は初めてとなる宮藤官九郎[5][9]。 キネマ旬報ベスト・テン日本映画1位、主演・窪塚洋介が第25回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を史上最年少で受賞した他[10]、同日本アカデミー賞では8部門で最優秀賞を受賞[6][9]。第74回(2001年)アカデミー外国語映画賞に日本代表作品としてエントリーされた他、この年多くの映画賞を受賞[1][10]。また柴咲コウ演じるヒロインの桜井は、原作者である金城一紀が柴咲をイメージして創作し[11]、「映画化する際の桜井は柴咲コウ」と映画化の条件として出し[11][12]、金城の意向通りのキャスティングが行われ、柴咲も本作で、この年の助演女優賞・新人賞を多数受賞[1][9]、窪塚、柴咲とも出世作となった[9]。 在日韓国人の高校生が人種差別や友情、恋愛を通じて、国籍や民族に捉われない新たなアイデンティティに目覚めていく姿を、ポップでグルーヴ感に満ちた映像で描く青春映画[1][5][6][9][13]。 キャスト
スタッフ
主題歌
製作映画会社各社で映画化権の争奪戦が繰り広げられ[5][12]、原作者の金城一紀が「映画化することは多少なりとも原作は壊れるものなので、どうせ壊すのなら若い感性で壊して欲しい」と、「30代の監督、脚本家を使うこと、そしてヒロインを柴咲コウに演じて欲しい」と、条件を出した[12]。 東映の創業50周年記念の年間(2001年4月ー2002年3月)のラインアップ10作品の一本として[4]、『バトル・ロワイアル 特別篇』『ホタル』『RED SHADOW 赤影』『仮面ライダーアギト』『千年の恋 ひかる源氏物語』などとともに2001年3月29日、東映本社会議室で製作発表があった[4]。席上、高岩淡東映社長は「おんぼろ弱小プロダクションから再生した東映が今日無事に50才を迎えることになった。『バトル・ロワイアル』が社会現象を起こして大ヒットし、岡田茂会長もこれを機に原点に立ち戻り、東映は野性的に逞しく前進していくという方針を打ち出された。映画というのは岡田会長がいつも言われるように天の時、地の利、人の和が繋がったときに大ヒットする。昨年(2000年)秋の『長崎ぶらぶら節』から東映にもツキが回ってきた。興行も東広島を第1号にシネコンを始めるなど洋画興行でも一人前の仲間入りができた。50周年を意義ある年にして次の50年、100年へ向けて再度、東映の発展に結びつけていきたい」などと述べた[4]。この製作会見で『GO』は2001年5月末クランクアップ、8月完成を予定していると発表された[4]。 製作会見マスメディアからも注目を集め[7]、2001年5月15日に帝国ホテルで行われた製作発表会には[5]、300名を越すマスメディアが結集[7][11]。主要キャスト、スタッフが出席[5]。原作は発売と同時に12万部を突破、映画化を巡り数社で争奪戦が演じられていた[5]。本作は東映と韓国のスターマックス社の提携作品で[5]、スターマックスが一部製作出資した[5]。佐藤雅夫東映取締役は「数社による争奪戦でウチが獲得した。ビビットでしびれる日本映画の突破口になるだろう。韓国の会社が製作に参加し、かつ両国で同時期に公開するというのはおそらく初めてと思う」と[5]、韓国スターマックス社趙裕哲は「単に資本参加だけでなく、キャスティングや音楽などスタッフの交流も図っていきたいと考えている。日・韓は歴史教科書検定など外交的な問題もあるが、この国境のない映画の成功で両国の交流を深めたい」[5]、「『GO』は日本映画でも韓国映画でもない」などと述べた[5][11]。行定勲監督は「初めてのメジャー作品で、豪華なスタッフ・キャスト、直木賞作品の映画化ということでプレッシャーを感じるが、キャリアのない若手の僕を起用してくれた東映さんに応えるためにも自分を見失わず、今までにない東映映画にしたい」と抱負を述べた[5]。窪塚洋介は「この作品に取り組む上で一番大きな問題は僕がジャパニーズで杉原がコリアンジャパニーズだということ。差別の問題は個人的な問題だと思うので冷静でいられる事がベストだと思う」[7][11]、「原作と出会って色々と考えさせられた。この想いを土台に演技していきたい」などと[5]、約8分間にわたり作品との出会いや、杉原が興味をもっていることに自分も興味を持ち、様々なジャンルの本を読破したことなどを熱く語った[5][7][11]。他に東映より、2001年5月下旬にクランクインし、6月末アップ、10月に日・韓両国で同時期公開を予定し、韓国の有名女優の出演も予定していると発表された[5]。焼肉屋の店員ナオミ役キム・ミンは韓国のトップ女優[11]。 脚本行定監督は宮藤官九郎に「マーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』を観てくれ、そこに僕の作りたいことの答えが全部あるとお願いし、脚本が出来た」「『GO』は同世代で作った映画...あの映画はとても客観的につくったんです。あれを突破することで次が見えるはずだったんだけれども、次に青春映画の依頼はなくて、ラブストーリーに戻って……。そんな感じです」などと話している[14]。宮藤は「脚本を依頼された時点で窪塚さんの主演は決定していたので、彼の演じる杉原をイメージして書いた。『在日』ということを現実の一つとしてさらっと描こうと思った。国籍の問題ばかり前に立つよりいろんな人達がそこに生きているということを描くことを一番に考えた」と話している[7][11]。 キャスティング柴咲は原作者からの熱いオファーに自分とは違うタイプと思い戸惑ったという[12]。柴咲・窪塚以外も後に売れっ子になる当時の若手俳優が多数出演し、斎藤工は出演していないが、芸能界に入って最初に受けたオーディションが『GO』だったという[15]。 撮影メジャー作品初監督となる行定監督は、当時33歳という若さ[11]。スタッフは全員年上ながら、撮影前に全約1600カットの絵コンテを書き上げ、準備万端で撮影に入った[11]。さまざまなシーンで行定監督と窪塚、柴咲がコミュニケーションを頻繁にとった[11]。 2001年5月23日、都内でクランクイン[11]。最初と最後のバスケットボールの乱闘シーンは都内某小学校の体育館[11]。初日から行定が粘り、出番待ちしていた桜井(柴咲コウ)のシーンまでいかず(映画では最終盤)。冒頭の構内の"スーパー・グレート・チキン・レース"シーンは[11]、関東近郊沿線の駅に撮影許可を求めたが許可が取れず[11]。神戸フィルムオフィスからの誘致があり[11][16]、兵庫県神戸市兵庫区の神戸市営地下鉄西神・山手線の上沢駅で[11][16]、2001年7月3日、ロケが行われた[11]。日本で初めて実際に地下鉄の線路上で撮影された[16]。撮影時間は最終電車通過後の深夜0時頃から始発電車が動き出すまでの約5時間[11]。窪塚はこの日クランクアップ[11]。四分の三あたりで杉原(窪塚洋介)と巡査役の萩原聖人の二人芝居は、東京都中央区の豊海橋。2024年現在は辺りの景観は大きく変わっている。都内ロケは他に杉原と桜井の初デートの待ち合わせ国会議事堂など。 キャッチコピー
作品の評価興行成績全国東映系劇場165館でロードショー[3]。興収5億円[2][3]。興収5.5億円[17]。『映画時報』2002年2月号には低調と書かれている[17]。 2001年11月に開催された第6回釜山国際映画祭で特別招待上映された[8]。主演の窪塚や行定監督、原作者の金城が釜山入りした[8]。2001年11月24日より韓国ソウル市内16館、地方28館の合計44館で公開され、韓国で公開された日本映画としては、異例の観客動員数となった[8]。 批評家評
受賞歴
(海外)
影響
舞台脚注
外部リンク |