黄帝四経
『黄帝四経』(こうていしけい[1]、こうていしきょう[2])は、古代中国戦国時代ごろの政治思想書。諸子百家の道家と法家が混ざった「黄老思想」の重要資料。長らく佚書となっていたが、1973年出土の馬王堆帛書の中に本書と推定される書物が発見された[3][4]。 『経法』『経』(または『十六経』『十大経』)『称』『道原』の4篇からなる。『黄帝書』『老子乙本巻前古佚書』などとも呼ばれる。 内容以下の4篇からなる[5]。釈読によって篇名が異なる場合もある。
主な内容は道家と法家が混ざった政治哲学・法哲学(黄老思想・刑名思想・道法思想)だが、墨家的な尚同尚賢思想[6]、兵家思想[7][8]、数術的な陰陽刑徳思想[9][8]、天人相関思想[10]、道や天に関する宇宙論[11]、黄帝とその臣下や蚩尤に関する中国神話[12]の要素も含む。 本書は題名通り黄帝に仮託されている。実際の作者は不詳で、成立年代・成立地域についても諸説ある[13][14]。筆写の字体は隷書に近い[4]。 伝世文献との関係
『漢書』芸文志には、黄帝や臣下の力牧に仮託された多分野の書物が著録されている。その中で、道家の書物として「黄帝四経四篇」が「黄帝銘六篇」「黄帝君臣十篇」「雑黄帝五十八篇」「力牧二十二篇」と並び著録されている[15]。『漢書』芸文志の後、本書は佚書となった[2]。『隋書』経籍志には著録されておらず、道経部の文中で「黄帝四篇」として言及されるに留まっている[16]。 本書と重複または類似する記述が、『国語』越語下篇(范蠡に関する記述)や『慎子』『管子』『鶡冠子』『文子』『淮南子』などに見られる[17]。 複数の伝世文献に「黄帝曰」「黄帝書曰」といった記述も見られるが、必ずしも本書の引用ではない[18][19]。 出土1973年出土の馬王堆帛書は、約30篇の多分野の書物からなる。その中には2つの『老子』異本があり、「老子甲本」「老子乙本」と命名された[3][4]。「老子甲本」の後には『五行』『九主(伊尹九主)』『明君』『徳聖』の4篇があり、「老子甲本巻後古佚書」と総称された。一方「老子乙本」の前には『経法』『経(十六経・十大経)』『称』『道原』の4篇があり、「老子乙本巻前古佚書」と総称された[3][4]。 当時の学者・唐蘭は、この「老子乙本巻前古佚書」を『漢書』芸文志の「黄帝四経四篇」と同定した[20][21]。この同定は当時から異論もあるが、主流の説となっている[3][21][14]。 本書が出土するまで、黄老思想の現存資料は乏しかったため、本書の出土は学界の注目を集めた。また文革中の儒法闘争による法家再評価も注目の一因になった[20]。 訳注書→「zh:黃帝四經 § 版本與譯本」も参照
ほか、複数の部分訳がある[22][23]。東方書店「馬王堆出土文献訳注叢書」には収録されていない[24]。 参考文献→「黄老思想 § 関連文献」も参照
脚注
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