防空艦防空艦(ぼうくうかん)とは、防空を主任務とする軍艦を指して用いられる呼称。艦種としては駆逐艦や巡洋艦として建造される場合が多く、防空艦という艦種は存在しない。 砲装型防空艦1903年のライトフライヤー号の初飛行以降、各国は有人動力飛行機の軍事利用の研究に邁進し、1914年に勃発した第一次世界大戦では早くも大規模に実戦投入されることとなった。当時の航空機はまだ性能が低く、対艦攻撃力として期待しうるものではなかったものの、気球などの軽航空機も含めて、偵察手段としては有望視されていたことから、艦艇側もすばやく反応し、これを撃攘するための対空兵器を装備するようになっていった[1]。しかし1920年代末頃までは、航空機の性能・武器・戦術等の黎明期にあたり、艦隊にとっての深刻な脅威とは受け止められておらず、従って本格的な航空攻撃対処能力も求められなかった[2]。 第二次世界大戦直前の時点でも、航空機による対艦攻撃はまだ単機ないし少数機による散発的なものに留まっており、多数機による組織的なものには至っていなかった。しかし艦上機部隊は複葉機から単葉機へと転換しつつあり、また日米英海軍の洋上航空兵力も増強の一途を辿っていた。このことから、各国海軍では経空脅威の増大を次第に意識するようになり、各艦の自衛防空能力の強化を図っていった。イギリス海軍のダイドー級、アメリカ海軍のアトランタ級といった大型の防空用軽巡洋艦や、大日本帝国海軍の秋月型駆逐艦のように防空に特化した艦艇も建造されたものの、水上艦艇全体からすると特殊例にとどまっていた[1]。 大戦中、経空脅威は極めて急激に増大し、これに対抗するため、各国軍艦の甲板上には各種機銃や高角砲が次々に増備されていった。しかしこれらは臨時装備であるために非効率な部分が多く、また特に対空戦闘時に給弾通路や砲側に極めて多数の弾薬火薬が存在することになることから、ダメージコントロールの面からは大きな弱点ともなった。この面からは、フランス海軍が大戦後に竣工させた「ド・グラース」や「コルベール」のように、防空型に特化した単能艦の整備が望まれた[1]。またレーダーや通信機などの技術進歩やCICコンセプトなどの指揮統制能力強化を背景として、組織的な対艦攻撃に対応するため、艦隊防空の組織化も図られた[2]。 しかし大戦末期には、米英海軍以外の強力な海上航空兵力が消滅し、洋上での大規模航空攻撃の蓋然性が低くなっていた。また軍艦という兵器は耐用年数が長いため、過度の特殊化を図るよりは、ある程度バランスの取れた汎用性を備えることが望ましかった。この結果、大戦終結時点で実際に連合国が保有していた水上戦闘艦のほとんどは、対空・対潜・対水上の戦闘能力のバランスが取れたタイプとなり、防空特化型の単能艦は少数派であった[1]。 大戦後のアメリカ海軍では、アトランタ級で搭載していた38口径12.7cm砲よりも長射程で発射速度も高い54口径127mm単装速射砲(Mk.42 5インチ砲)を装備化し、これを搭載した防空巡洋艦も検討された。しかし主にコストパフォーマンスの観点から、議会はその建造を拒否し、防空艦としては、同砲を搭載したミッチャー級やファラガット級といった大型駆逐艦(DL)が建造されることになった[3][4]。 防空ミサイル艦第二次世界大戦後、航空機は急激にジェット機へと移行していった。1950年の朝鮮戦争では大規模に実戦投入され、これによって更にジェット化が進展することとなった。経空脅威も、プロペラ機時代には多数の低速機によるものであったのに対し、ジェット化に伴って、比較的少数の高速機へと、その様相を変じていった。このような高速機に対しては、近接信管やレーダーFCSの支援を受けても、砲熕兵器では対処が困難であった[1][2]。一方、この時期に実用化されつつあった誘導ミサイルであれば、砲熕兵器と比して射程・命中精度の面で大きく優れていた。大規模な航空攻撃への対処という点ではあまり適していなかったものの、生産技術や経済的な観点から、かつてのような大規模襲撃の蓋然性は低下しており、この面での懸念も払拭されようとしていた。このことから、艦対空ミサイルによる艦隊防空が志向されることになった[5]。 旧西側諸国SAM黎明期アメリカとイギリスでは、それぞれ1943年ごろより艦対空ミサイルの開発に着手しており、大戦末期に日本軍が行った特別攻撃(特攻)の脅威を受けて開発は加速していた。アメリカでは、1944年に開始されたバンブルビー計画を基本として開発が進められており、ここから派生した中射程型のテリアは1948年、本命と位置付けられていた長射程型のタロスも1950年には試作に入った[4]。 これらのミサイルは、まず既存の巡洋艦への改修によって装備化されることになり、1955年にはボルチモア級重巡洋艦をもとにテリアを搭載したボストン級が再就役したのを端緒として、順次に改装が進められた。しかし特にテリアは、より小さい駆逐艦ベースの船体でも十分に収容できることが判明したことから、巡洋艦への改装はそれ以上行われないことになった。かわってファラガット級がミサイル艦として設計変更されることになり、これを端緒としたミサイル・フリゲート(DLG)の整備が進められた[4]。しかしこれらも、駆逐艦をベースにしているとはいえ、通常の艦隊駆逐艦より一回り大きく、大量建造は困難であったことから、1951年1月には、護衛駆逐艦程度の艦にも搭載できる射程10海里 (19 km)程度の艦対空ミサイルの開発要求が発出された。これに応じて、テリアの開発計画から派生するかたちで開発されたのがターターであり、1955年初頭には開発計画が認可され[6]、1957年度からはこれを搭載したチャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦の建造が開始された[7]。また各国も競って同ミサイルの導入を図ったものの、高性能ではあるがあまりに高価であり、導入は一部の防空艦に限られることが多かった[2]。またイギリスはシースラグ、フランスはマズルカと、それぞれ国産のミサイルを配備した[5]。
システム化の導入一方、西側諸国海軍の仮想敵であったソ連海軍は、1950年代後半より対艦ミサイルの装備に注力していた[5]。1970年代以降は長射程・高速化を図るとともにプラットフォームも充実し、重大な脅威として顕在化した[2]。 アメリカ合衆国ではこれに対抗して、テリアとターターは共用化を進めつつ改良を重ねてスタンダードミサイルに発展、また艦上システムやレーダーもデジタル化とソリッドステート化などの技術進歩とともに改善され、海軍戦術情報システム(NTDS)の配備も進められた[2]。
統合システム化の進展このように彌縫的なシステム化が進められたものの、これをもってしても、1970年代中期以降に著しい向上を見たソ連軍の対艦攻撃能力に対しては不十分と見積もられた。このことから、アメリカ合衆国では、統合システムとして完全に設計を刷新したイージスシステム(AWS)が開発された[2]。 またこれと関連して、これまでは捕捉レーダーや追尾レーダーなど、それぞれ独立して存在していたレーダーを統合した、多機能レーダーが開発された。その先鞭をつけたのはイージスシステムのAN/SPY-1であるが、ヨーロッパでもアスターSAMに対応したアラベル (仏)、ヘラクレス(仏)、SAMPSON(英)やEMPAR(仏伊)などが、またドイツやオランダでもスタンダードSAMに対応したAPARなどと言った機種が開発されている。 旧東側諸国ソ連海軍も、第二次世界大戦の教訓から対空兵器の開発に注力し、種々のSAMを開発していた。1955年からは、防空軍のS-75(SA-2)地対空ミサイルを艦載化したM-2をスヴェルドロフ級巡洋艦に搭載する計画がスタート[8]、また1957年より設計が開始された81型原子力防空艦では、長射程のM-3および短射程のM-1という2種類の艦対空ミサイルの搭載が予定されていた[9]。しかし原子力防空艦とともにM-3の計画は中止され、M-2も「ジェルジンスキー」に搭載されて1957年より試験に入ったものの、艦載運用するにはシステム規模が過大であると評価されて、装備化されなかった[8]。短射程のM-1のみは順調に開発が進み、1962年に就役した[10]。 一方、1959年からは、1126型原子力防空艦用として、長射程のM-31(2K11地対空ミサイルの艦載版)および中射程のM-11の開発が着手されたものの、1961年の1126型の計画中止に伴って、これらの開発も中止された。その後、M-11の開発のみが再開され、1967年竣工の1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)で装備化された[11]。このように、長射程の艦対空ミサイルが装備化されなかったのは、ソ連海軍が大規模な編成の艦隊を紛争に投入することを考えておらず、艦対空ミサイルは基本的に個艦防空用として捉えられていたことに由来すると推測されている[5]。 その後、1960年代中期よりクヴァント多目的対空ミサイルの開発が開始されており、のちにS-300F フォールトに発展して、大型対潜艦「アゾフ」(1134BF型)での試験を経て、ソ連海軍初の長射程SAMとして1984年に就役した[12]。また同時期に艦隊配備されたM-22も、基本的には個艦防空レベルのシステムではあるが、ある程度の多目標処理が可能であり、艦隊防空能力もあると考えられている[13]。 中国人民解放軍海軍では、ロシアからM-22搭載の杭州級駆逐艦を導入して防空ミサイルの運用能力を獲得した。その後、052B型ではM-22の発展型にあたるシュチーリ-1、そして052C型ではS-300Fと同系列の国産ミサイルであるHHQ-9Aを搭載した。051C型ではS-300Fの発展型にあたるリフ-Mとなったが、052D型では再び国産のHHQ-9Bとなった[13]。 脚注注釈出典
参考文献
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