金城朝永
金城 朝永(きんじょう ちょうえい、1902年(明治35年)5月18日 - 1955年(昭和30年)3月10日[1])は、沖縄県出身の沖縄研究者。特に琉球方言の研究を行った。 経歴9歳のとき、沖縄学の父・伊波普猷の開いた「子供の会」に入会しており、幼い頃から伊波の影響を受けて育った。中学の時には伊波とともに日本組合基督教会沖縄支部に入会。当時の標準語教育に反発し、中学は落第した[2]。上京した後、東京外国語学校で学ぶ。卒業後、伊波や柳田國男、折口信夫らが中心となって作った「南島談話会」に参加[3]。その後も柳田の主催する「木曜会」に参加している。こうした環境の中で方言や民俗を研究していった。 1936年、金田一春彦ら東京大学と國學院大學の学生に請われて、自宅で半年間にわたって琉球語のアクセントについて教授した。また、金田一京助のアイヌ調査の助手として、樺太や北海道の取材旅行に行っている。この縁もあり、翌年三省堂での辞書編纂に参加することとなった[2]。 戦後は米軍の翻訳官や東京学芸大学での仕事を行いながら、琉球の歴史を研究していった。 著書
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