辻町(つじちょう、つじまち)は、愛知県名古屋市北区にある地名。現行行政地名は辻町1丁目から辻町9丁目と6つの字。住居表示未実施[WEB 4]。
地理
名古屋市北区中央部に位置する。西は安井・金田町・長喜町、南は新堀町・辻本通、北は安井町・成願寺町・守山区川西に接する。また、辻本通を挟み南に飛び地(字流)が所在し、東は上飯田西町、南は織部町・瑠璃光町・真畔町に接しており、地内には集合住宅と愛知県衛生研究所が所在している。町域はおおむね住宅地で、大野町・長喜町との境界には愛知県営辻町住宅が所在している。また、かつては大隈鐵工所・興和紡績の工場があったが撤退し、それぞれ中日新聞印刷辻町工場とアピタ名古屋北店となっている。
河川
当地内北東端で堀川(黒川)と庄内用水(惣兵衛川)が分流しており、庄内用水は当地北端付近を東から西に流れている。
字一覧
現行字(辻町)
現行字は「名古屋市道路認定図」[WEB 5]による。
旧字(辻村)
『北区誌(1994年版)』551頁による[2]。
- 流砂田 - なかれすなた
- 下通り - しもどおり
- 黒曽 - くろそ
- 高道 - たかみち
- 郷中 - ごうなか
- 川田 - かわた
- 北出 - きたで
- 柿ノ木 - かきのき
- 薬師堂 - やくしどう
- 池ノ内 - いけのうち
- 辻浦 - つじうら
- 亥新田 - いしんでん
- 戌新田 - いぬしんでん
- 子新田 - ねしんでん
- 古新田 - こしんでん
- 薬師浦 - やくしうら
歴史
町名の由来
旧辻村の名に由来する。辻という地名自体について、『尾張志』・『尾張国地名考』は山田郡羊神社の羊が「火辻」の表記に転じ、さらに火の字を避けたことに由来すると記している。
沿革
- 戦国時代 - 尾張国春日部郡の地名として、天正11年11月7日付織田信雄朱印状において「つじ」の名が見られる。
- 江戸時代 - 尾張国春日井郡の尾張藩領大代官所支配の辻村として所在。
- 1880年(明治13年)2月5日 - 西春日井郡成立に伴い、同郡辻村となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 西春日井郡萩野村大字辻となる。
- 1937年(昭和12年)3月1日 - 名古屋市西区辻町となる。
- 1937年(昭和12年)10月 - 字流を以て東区辻町が成立する。
- 1937年(昭和12年)11月1日 - 西区辻町の一部が境界変更を以下の通りに行った。
- 字黒増の一部を大野町・天道町に編入。
- 字高道の一部を金田町に編入。
- 字下通りの一部を長喜町に編入。
- 字薬師堂の一部が安井町1-7丁目に編入される。
- 『角川地名辞典』によると、この他辻本通との境界変更が行われ、面積を減じたようであるが詳細不明である。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 字が以下の通り変更となった。
- 字向砂田・砂田・郷中の各一部により字神明を編成。
- 字砂田・向砂田の各一部により字東辻栄を編成。
- 1944年(昭和19年) - 東区辻町を西区辻町が合併する。
- 1949年(昭和24年)7月1日 - 以下の通りの異動が実施された。
- 字白山・神明・高師・新堀・西辻栄・東辻栄・日進・薬師・金田町6丁目の各一部により辻町1-9丁目を編成。
- 字日進・薬師の各一部を金田町6丁目に編入。
- 字西辻栄・東辻栄の各一部を辻本通1-4丁目に編入。
- 字日進の一部を天道町5丁目に編入。
- 字薬師の一部を安井町7丁目に編入。
- 『角川地名辞典』によると、この他長喜町・大野町との境界変更が行われ、面積を減じたようであるが詳細不明である。
- 1978年(昭和53年)11月26日 - 字薬師浦の一部が安井三・四丁目の一部となる。
世帯数と人口
2022年(令和4年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 6]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 7]。
交通
バス
- 名古屋市営バス(名古屋市交通局)
- 辻町停留所[WEB 8]
- アのりば(栄12系統 安井町西行・北巡回系統 安井町経由左回り黒川行)
- イのりば(名駅13系統 上飯田行・栄12系統 栄行・北巡回系統 右回り黒川行)
- ウのりば(名駅13系統 名古屋駅行)
- 辻本通停留所[WEB 9]
- アのりば(名駅13系統 名古屋駅行・栄12系統 安井町西行・北巡回系統 安井町経由左回り黒川行)
- イのりば(名駅13系統 上飯田行・栄12系統 栄行・北巡回系統 右回り黒川行)
- 上飯田西町停留所[WEB 10]
- イのりば(名駅13系統 名古屋駅行・北巡回系統 安井町経由左回り黒川行)
道路
施設
300 m
10
9
8
7
6
5
2
1
略地図
1
名古屋市立辻小学校
2
県営辻町住宅
3
三階橋ポンプ場
4
愛知県衛生研究所
5
徳風幼児園
6
辻交番
7
辻町公園
8
修善寺
9
有隣寺
10
羊神社
11
黒川樋門
1丁目
- オークマ(当時は大隈鐵工所)の旧本社工場の跡地に愛知県が整備した集合住宅[新聞 1]。1976年(昭和51年)秋、大隈鐵工所側が本社および本社工場移転後の11万4800平方メートルの売却を県に持ちかけ、1万5000平方メートルをまず売却[新聞 1]。同年11月、約5万平方メートルを工場移転に合わせて3段階で県が購入するという覚書を両者で結んだ[新聞 1]。残りの土地は名古屋市が買収し、小中学校用地として確保することとなった[新聞 1]。約1000戸規模の「名北団地」として整備することを1978年(昭和53年)4月に発表し、1980年(昭和55年)春から1983年(昭和58年)度に掛けて段階的に供用開始する予定としていたが、1979年(昭和54年)3月に大隈鐵工所が本社全面移転を撤回したため、同地に予定されていた中学校計画が白紙に戻された[新聞 1]。
- 街区公園。都市計画公園としては1980年(昭和55年)9月22日告示、面積は0.65ヘクタール。1983年(昭和58年)開園。1984年(昭和59年)3月31日を都市公園法による設置日としている。
2丁目
4丁目
- 辻町4丁目5に所在。現在の住職は節談説教使の一人である祖父江佳乃。祖父は祖父江省念で、省念は関山和夫により「日本仏教伝統の節談説教を現代に継承する正統説教者」として評価された人物であり、1970年代にあったという永六輔・小沢昭一らによる節談説教再評価のきっかけになった人物でもあるという[WEB 11][10]。
5丁目
- 辻の由来となったといわれる式内社。
- 辻町5丁目30(旧字郷中462)に所在。(文安3年)11月13日浅井右近源善良により建立、霊梅笑山和尚による開山と伝える。 元禄年間に熱田田中町から移転してきたという。また、本尊の薬師如来は815年(弘仁6年)3月空海による一刀三体のものという。
9丁目
字古新田
字流
-
愛知県衛生研究所(字流)
-
手前が黒川樋門・奥が三階橋ポンプ所
旧跡
- 『西春日井郡誌』によると、萩野村大字辻(当時)の東南端から三階橋までの犬山街道に約10町(約1キロメートル)松並木が植えられていたという。現存しない。
- 『西春日井郡誌』によると、萩野村大字辻字池ノ内(当時)の水田に丘のように所在していたという。秀長は山崎の戦いにより右腕を斬られたが、一命を取り留め安井村に隠棲したという。その際、右腕を辻村の西端の葭原に埋めたものと伝わる。7代後の長詮が宝暦9年12月浅野家菩提寺の清学寺に寄付したが、明治26年4月26日清学寺住職梅村嶺淳が浅野家に返還したという。現存しない。
その他
日本郵便
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年。
- 西春日井郡編『西春日井郡誌』西春日井郡、1923年。
- 名古屋市・名古屋市みどりの協会共編『名古屋の公園100年のあゆみ 資料編』名古屋市、2013年。
脚注
WEB
新聞
- ^ a b c d e “大隈鉄工跡地 売り手の業績回復して… 名北団地計画に 待った 全面売却を撤回 構想、縮小のハメ 県と市大弱り 『発祥の地、ご了承を』大隈鉄工”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 19. (1979年5月3日)
書籍
- ^ 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』1994年、551頁。
- ^ 『よみがえる話芸 節談説教』東海ラジオ放送、2012年5月27日放送。(『放送ライブラリー』所蔵)
関連項目
外部リンク
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楠支所管内 (旧楠村) | |
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消滅町名 | |
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旧町村 | |
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注 |
☆ - 住居表示実施地区 / (☆) - 一部住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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