谷口 誠治(たにぐち せいじ、1959年〈昭和34年〉7月10日 - )は、実業家、演出家、芸能プロモーター。フォーチュンエンターテイメント代表取締役社長。
略歴
大阪府吹田市生まれ。血液型はA型。公務員から芸能界に転身しミュージカル世界ツアーに出演。日本に戻り数々のショー演出を手掛け、その後芸能プロダクション設立。菅野美穂をはじめとし要潤らを発掘育成マネージメント[1]。
芸能プロ設立のきっかけは大阪の大学に通っていた時にローラースケートブームが起こり知人のスケート場をプロデュースしてヒットさせたこと。ローラースケートリンク3ヵ所をオープン。マネージメントをする傍ら、プロスケーターとしてテレビやイベントに出演[2]。両親が公務員だったため大阪府吹田市役所に地方公務員として就職[3]。「世界で通用する人間になりたい!」と自らの夢を実現させるため市役所を辞めて上京。 NHKドキュメンタリー番組に取り上げられレギュラー番組を持つ[4]。
テレビ、CM、映画、雑誌、イベントなど国内で活動した後、ミュージカル「スターライトエクスプレス」の世界ツアーオーディションを受けて合格。ロンドンへ渡り世界ツアーに出演[5]。日本に戻り数々のショー演出を手掛ける。
年譜
人物
- 好きな言葉は「ピンチはチャンス」「人生は勝負」「一人立つ精神」「有言実行」。自身の著書のタイトルにあるように「夢は叶えるもの」。[12]
- 100年続く宝塚歌劇団が目標。大阪に住んでいた高校時代距離が離れた兵庫県にわざわざ足を運びたくなるコンテンツを見て名古屋にだって全国から来てくれると信じている[13]。
- エンタメに興味をもつキッカケは小学時代にテレビでよく見た藤山寛美[14]。
- 高校時代はラグビー部。家に帰ってヤングタウン、オールナイトニッポンの投稿ハガキ職人[15]。
- 人見知りの性格で小中高時代の友達はゼロ。モテるために20才からローラースケートを始める。キッカケは豊中市にローラースケートを映画にした「ローラー・ブギ」の宣伝のため出演者が来日していたことから[16]。
- 大学を中退して公務員になるかたわら、ローラースケート場がオープンしたことをキッカケにプロデュースに関わりグループを作ったりイベントを仕掛けて成功[17]。
- 公務員を辞めて原宿の歩行者天国でパフォーマンスを定期的に行う。27才のときに東京でローラースケートの事務所を立ち上げる[4]。
- アイドルのプロデュースをはじめるキッカケは1989年にテレビ朝日で放送が開始されたアイドル共和国。当時西武園ゆうえんちとコラボした番組で谷口はイベントステージを担当。そこからローラースケートチーム「レッドドルフィンズ」を輩出[8]。
- 群馬県のカラオケ店からCMを作りたいとオファーがあり女の子オーディションを開催。グランプリ受賞の菅野美穂のために芸能プロダクション「タニプロモーション」を作ることを決意。社名は菅野美穂の案を採用[18]。
- 菅野美穂がテレビ朝日の番組企画・桜っ子クラブに合格したことで芸能をゼロから勉強[19]。
- 1997年に写真集『NUDITY』を出してからタレントにしがみついていると思われている自分が嫌で事務所を手放す。その間、心臓を患い1年間入退院を繰り返す。完治まで2年かかった[20]。
- マジックが特技だったことから言葉を使わずに世界へ発信できるイリュージョングループ「プリマベーラ 」をプロデュース。名古屋のプロモーションの一環として男版宝塚を作ったのがBOYS AND MENの始まりとなった[21]。
- 還暦パーティーにて誕生日が7月10日ではなく7月11日だったことをカミングアウトする。改めて還暦イベントの出し物のため、出生を調べていたところ実母からへその緒を見せてもらい明らかになったという[7]。
プロデュース
アーティスト
テレビドラマ
映画
ミュージカル
書籍
著書
脚注
参考文献
外部リンク