礼文郡礼文郡(れぶんぐん)は、北海道(北見国)宗谷総合振興局の郡。 人口2,191人、面積81.64km²、人口密度26.8人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口) 以下の1町を含む。
郡域1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。 郡名の由来→「礼文島 § 島名の由来」も参照
歴史郡発足までの沿革礼文はもと「れふんしり」と読んだ。江戸時代の礼文郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれたリイシリ場所に含まれた。 江戸時代後期になると文化4年には礼文島近海でロシアによる日本船襲撃事件(文化露寇、フヴォストフ事件)が発生している。南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、同年礼文郡域は天領とされた。文化5年には厳島神社が創建されている。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領(秋田藩警固地)とされ、同6年の6藩分領以降は秋田藩領となっていた。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して礼文郡が置かれた。 郡発足以降の沿革
明治9年の大区小区
参考文献
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