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県警対組織暴力

県警対組織暴力
Cops vs. Thugs
監督 深作欣二
脚本 笠原和夫
出演者 菅原文太
松方弘樹
梅宮辰夫
音楽 津島利章
撮影 赤塚滋
編集 堀池幸三
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1975年4月26日
上映時間 100分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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県警対組織暴力』(けんけいたいそしきぼうりょく)は1975年東映製作した日本映画

監督は深作欣二、脚本は笠原和夫。1975年4月26日封切。100分、カラー、ワイド。英語版タイトルは"Cops vs. Thugs"。

1975年度キネマ旬報読者選出邦画第9位。

概要

仁義なき戦い』から始まる東映実録映画路線の一本。『仁義なき戦い』の大ヒットにより、東映は次々と実録路線のヤクザ映画を量産した。その流れを汲む一本であるが、本作での菅原文太はヤクザではなく刑事である。西日本地方都市を舞台に、悪徳刑事とヤクザの友情を通して、警察とヤクザの癒着関係を描き出す。タイトル内の「組織暴力」とはヤクザと、ヤクザと癒着する警察の連合を示す。

主演の菅原文太、音楽の津島利章なども含め、スタッフやキャストのほとんどが『仁義なき戦い』シリーズから引き続き参加している。

舞台は「倉島市」という架空の都市の設定だが「県警」のモデルは広島県警察と東映自身が告知している[1][2]

あらすじ

昭和三十八年、西日本の地方都市倉島市では、暴力団大原組と川手組の抗争が続いていた。

倉島警察署刑事課の部長刑事である久能徳松(菅原文太)は、暴力団担当のやり手だがヤクザとの癒着も辞さない悪徳刑事であり、大原組の若衆頭である広谷(松方弘樹)とは盟友である。連続する抗争や違法捜査のさ中、二人は川手組の土地買収をかぎつけ、その計画を叩き潰す。祝杯を上げる二人であったが、川手組との抗争はさらにその激しさを増し、川手組と利害を共有する県上層部は、大原組を潰すために動き出す。倉島署に派遣された県警本部捜査第二課の海田警部補(梅宮辰夫)は、ヤクザと警察官の交際を禁じ、清廉潔白な捜査を久能たちに命令する。海田の強引なやり口に反発するベテラン刑事の吉浦(佐野浅夫)は居場所をなくし、大原組は追い詰められ、久能と広谷の関係にもヒビが入っていく……。

スタッフ

出演

主要人物以外の分かりづらい端役については、作中での役割を示す説明文や台詞を付した。

警察関係者

大原組・川手組

  • 広谷賢次:松方弘樹
  • 大原武男:遠藤太津朗
  • 柄原進吾:室田日出男
  • 庄司悟:奈辺悟 久能にライターを取り上げられるチンピラ。
  • 大貫良平:成瀬正孝 組を裏切り庄司に刺殺される。
  • 沖本九一:曽根晴美 川手組のキャバレー襲撃の責を負って自首する。
  • 三杉寛:藤沢徹夫 沖本とともにキャバレーで暴れる。
  • 是貞充:司裕介 塚原とともにキャバレーの事務所に殴り込む。
  • 平田芳彦:片桐竜次 自転車で逃げ、首を切り落とされる。
  • 児島二郎:幸英二 美也の声に騙されてドアを開け久能に殴り倒される。
  • 小宮金八:田中邦衛 大原が刑務所で知り合ったアンコ
  • 住岡清治:小田真士
  • 川手勝美:成田三樹夫
  • 松井卓:川谷拓三
  • 水谷文治:高並功 川手建材の責任者。久能が川手建材を訪ねるくだりで友安、川手とともに密談している。*キャストクレジットだと岩尾正隆
  • 土屋保:白井孝司
  • 俵功二:平沢彰 自転車で追いかけ平田の首を切り落とす。
  • 竹内正一:秋山勝俊 川手建材運転手。大貫に刺殺される。
  • 柳井:野口貴史 シナリオ及び予告編では中華料理屋で広谷暗殺を狙い射殺される。

政治家など

その他の人々

製作

企画

田岡一雄の自伝を実名で映画化した1973年『山口組三代目』、及び1974年の『三代目襲名』が大ヒットし、田岡を「任侠の徒」として描いたこれらに対して山口組への対策を強化し始めていた兵庫県警が快く思わず[3][4]。東映本社と俊藤浩滋の自宅が家宅捜索され、岡田茂東映社長(当時)は警察に出頭を命じられた[3][5][6][7]。警察の目的は岡田と田岡一雄との関係を明らかにして、岡田を引きずり下ろすことが狙いだった[4]高岩淡(のち、東映社長)も重要参考人として警察に呼び出され厳しい取り調べを受けた[4]。警察とマスコミキャンペーンを張られ、世間を騒がせた責任を取り、岡田社長は1975年の正月映画に予定していたシリーズ三作目『山口組三代目 激突篇』の製作を断念した[5][6][7]

これら東映とヤクザ映画に対する警察の圧迫を不愉快に思った岡田社長が便所の中で思いついたのが本作のタイトル、及び企画である[5][7][8][9]。岡田は日下部五朗に「この題で撮れい、撮ったれい!」と広島弁で息巻いていたといわれる[7]

『仁義なき戦い』の新シリーズ『新仁義なき戦い』も広島市からのロケ撮影を締め出されるというトラブルが続出した[1]。このため東映は"ヤクザ路線"から"警察路線"という新シリーズと銘打ち[1]、「本作をその第1作として広島県警が、地元暴力団組織を追いつめていく過程を描く。警察も組織で組織対組織の、血みどろの男の戦いを映画化する」「仁義なき戦いは広島市の暴力団組織の抗争を描いたものだが、同じ広島を舞台に、同じ深作欣二監督の手で、警察当局に追いつめられる組織暴力団の末路を描く」「いままでは警察当局の撮影への協力が得られなかったが、今後は期待できる」「早速に広島で現地ロケ、8月頃に公開の予定」とマスコミに発表し製作に着手した[1]。この発表を受け、マスコミの一部には東映がかつて『警視庁物語』という警視庁PR映画で稼ぎまくったことから、警視庁ご推薦ものを作る気かと報じるものもあった[10]

シナリオ

笠原和夫は岡田に呼ばれ「"県警対組織暴力"、いいタイトルだろ? これでやれ」と指示を受け、「そんなダサい題名で書けるか」と思ったが、仕方ないので脚本に着手した[11]。笠原は田舎の警察とやくざの戦いみたいなものをやろうと広島に行き取材を開始したが[11]、取材場所は広島しか知らず[11]、当地で収集した実話を参考に書き上げた[11]。また『仁義なき戦い』の徹底取材で材料が余り『仁義なき戦い』に使えずじまいのエピソードが余った。このため使い切れなかったエピソード(パトカーに相乗りして花見に行く話など[12])を本作で使っている[12]

市警察の久能(菅原文太)と友情を結ぶ若いヤクザ広谷(松方弘樹)の名前が、『仁義なき戦い』の主人公の広能の名前を二つに分けたものであることから、潜在的にこの二人が同じようなキャラクターであることを示唆している[13]。久能は警察の上司・海田(梅宮辰夫)に食ってかかり、ヤクザ広谷の夢を託すが、最後は時代の風に乗って鮮やかな転身を果たす海田とは真逆に、野良犬のようにトラックに踏みつぶされる[14]。また作品の舞台を東京オリンピックが開催された前年の1963年に置き、石油コンビナートラジオ体操、『こんにちは赤ちゃん』といった戦後の高度経済成長に向かう日本社会の表の顔とその裏にうごめく暗い顔を繰り返し見せることで、近代化まっしぐらだった日本では、大企業が地方の勢力と結びついて経済発展を図り、地方では警察もヤクザも政治家も癒着し合い、実は同類であるというテーマに結び付けている[13]。この根は同じというテーマは笠原作品によく見られる[13]

本作品のシナリオは『笠原和夫 人とシナリオ』に掲載されている[15]

本編とシナリオとの差異

本作品は監督の深作が「一字一字出直しするところがない」とまで称賛したように[16]、笠原のシナリオにほぼ従って撮られているが、いくつか削除されたシーンや変更された描写がある。

削除されたシーン
  • 広谷が日光石油の久保所長を脅すシーンの次に、久能が過去の悪事をネタに向井市長を脅迫するシーン、および、脅迫された市長が広谷と川手に無理やり手打ちさせ、そのことを川手が怒るシーンがあった。
  • 広谷組と川手組が二台の車に分かれて射撃しあうシーンの次に、中華料理店にいる広谷を暗殺者が襲い、広谷が返り討ちにするシーンがあった。本編にある海田警部補の台詞、「中華料理店の射殺事件が臭いんだが」とはこのことを指す。また、本作のビデオ版パッケージの裏面には、松方弘樹が中華料理屋で銃を構える写真が使われており、シーン自体は撮影されたものの編集段階で削除されたものと思われる。このシーンの一部が予告編に用いられている。
  • 海田警部補が初登場するシーンの一つ前に、警官の取り締まりに逆らい暴れだした広谷側の宏道会組員を、海田がハネ腰で投げ飛ばすシーンがあった。これがシナリオ段階での海田の初登場シーンである。
  • 広谷組のチンピラ庄司が裏切り者を刺殺したシーンの次に、漁師町の庄司の実家が家宅捜査され、庄司の兄が「誰がわしらの漁場奪ったんじゃい! 悟を極道にしたんは誰ない!」と叫ぶシーンがあった。配役表を見るとこのシーンにしか登場しない庄司の兄にも役者(演:岡部正純)が割り振られているので、このシーンも撮影だけ行われて編集でカットされたものかと思われる。
変更、追加された描写
  • シナリオ冒頭での久能の描写は「ねじ鉢巻、サングラス、油の染みたジャンパー、一見仲仕風の男が、グラスの酒を煽り、ラーメンをすすり、ゆで玉子にもかぶりついている。貪欲というよりも、賎しいまでに動物的な活力に溢れた喰いっぷりである。」という荒々しいものだが、本編ではスーツにコートというスマートな衣装に変更されており、どぎつい食事ぶりの描写もない。
  • 本編では、テレビから当時のヒット曲『こんにちは赤ちゃん』が流れる中、チンピラがのたうち回りながら殺されるシーンがある。『こんにちは赤ちゃん』はこの映画の舞台である昭和38年の10月に発売された曲である。時代背景を切り取りながら殴り込みの凄惨さを引き立てる演出であるが、シナリオでは「大貫がテレビを見ている。」とあるだけでテレビに映される内容の指定はない。
  • ラストシーン、シナリオでは、近づく不審な車に対して懐中電灯を振る久能の姿がストップモーションになり、そこに「久能徳松巡査部長、昭和四十年、~暴走車にはねられ即死。加害車、不明」のテロップがかかり、エンドマークが出る。しかし本編では、久能がハネられ、ぐったりと眼を閉じ死亡するまでを克明に描いてから、テロップとエンドマークが出るようになっている。

キャスティング

本作は菅原文太(主演)、渡哲也の初共演作として[16][17]、1975年東映上半期最大級作品として企画され[17][16]、1975年2月18日の東映記者会見で、岡田茂東映社長が「文太、渡の二大スターで5月(ゴールデンウイーク)は勝利間違いなし」とブチ上げ、笠原が三ヶ月がかりで書き上げた脚本も菅原が「俳優になって初めて出会った最高傑作」、深作は「一字一字出直しするところがない」とまで称賛し[16]、1975年3月17日クランクインを予定していた[16]。渡哲也は高倉健との共演を予定していた『大脱獄』もキャンセルし、自宅で静養に努めていたが、1975年3月に入ってカゼをこじらせ体調が悪化し、1975年3月10日に所属の石原プロモーション専務小林正彦より「出演は難しい」と伝えられた[17]。渡は岡田社長が東映へ引き抜こうと画策し[18]、東映入りしたという報道もされたが[19]、東映とは専属契約を交わしていなかった[17]。急ぎ代役候補に北大路欣也松方弘樹が挙がり[17]、松方が代役を引き受けた[20][21][22]。松方は関西テレビテレビドラマけんか安兵衛』を収録中で、1975年4月14日から自身主演の『暴動島根刑務所』のクランクインを予定しており、ハードスケジュールとなった[16]。渡は『暴動島根刑務所』にも松方(主演)と共演予定であった[17]。この影響で『暴動島根刑務所』のクランクインは少し遅れた[21]

撮影

1975年4月4日『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』と同日、東映京都撮影所でクランクイン[23]

宣伝・興行

当時は映画出演者がテレビに出て番宣をするようなことは無かったが[24]、映画公開前にテレビで『菅原文太のすべて』のような番組が放映され[24]、映画宣伝の珍しい方法として映画関係者の反響を呼んだ[24]

この1975年のゴールデンウィークは、東宝山口百恵主演の『潮騒』と和田アキ子主演の『お姐ちゃんお手やわらかに』、松竹桜田淳子主演の『スプーン一杯の幸せ』と中村雅俊檀ふみ出演の『想い出のかたすみに』で、東映がこの『県警対組織暴力』と志穂美悦子主演の『華麗なる追跡』のそれぞれ二本立てで、邦画界はほぼアイドル映画一色に染められた[2][25]。マスメディアは大手三社のメイン作の対決を「モモかサクラか、桜の代紋か」などと盛んに取り上げ[2][26][25][27][28]、山口百恵、桜田淳子、菅原文太がそれぞれ都心の劇場で派手な宣伝合戦を展開した[27][28]。ゴールデンウィーク初日の1976年4月26日、百恵は千代田劇場前で通行人のホッペに"チュ"をするというウッシッシ作戦を行うと告知[27]。同所に登場はしたが[28]、"チュ"を実行したかは不明。淳子は銀座松竹前で「幸せになりましょうネ」と幸せのベルをプレゼントすると告知[27]、これは実行された[28]。色気のない『県警対組織暴力』は当初、銀座のど真ん中・丸の内東映前で"ドカーン"と花火を打ち上げるかと予定したが、都民を驚かせてまた警視庁を怒らせても困るなどと中止し[27]、東映宣伝部員が警官姿になって菅原を囲み舞台挨拶する予定だったが、これも警察当局の逆燐に触れることを恐れて自粛した[2]。初日の興行成績は『県警対組織暴力』に軍配が上がり[28]、菅原は「テレビの人気者に負けるようじゃ、本職の恥」[2]「映画でメシを食ってる本職がポッと出のジャリ歌手に負けたんじゃ、オレ、役者をやめるよ」[26]などと胸を張った。しかし当時志穂美悦子が、文太、松方、渡、千葉と並ぶ"東映の五大黒字スター"などと呼ばれるほど[29]人気が爆発しており[29]、一部のメディアには「百恵ちゃん、淳子ちゃん、悦ちゃんの三ちゃん・女の闘い」とも書かれ、実際『華麗なる追跡』上映中には「悦ちゃん、悦ちゃん」の大唱和が起き『県警対組織暴力』だけの成績かは不明だった。当時は10代の映画ファンの興行への影響力が大きくなってきており、東映は「実録路線」が当たってはいたが、さらに若いファン層の開拓を目指して岡田茂東映社長は「ことしから二本立ての1本は19歳以下の若者を対象にしていく」と"青春路線"に取り組むと発表した[2]

評価

本作は警察の末端組織とヤクザとの癒着及び対立、警察組織内の上層部と末端の対立をテーマに、笠原の綿密な構成力と深作欣二の迫真の演出力が存分に発揮され、娯楽性と社会的なテーマ性をともに併せ持つ作品となった。笠原が『仁義なき戦い』で習得した広島弁のセリフ創作術はこの作品によって究極の達成を見たといっても過言ではない[30]

広島県警からは制作発表当初より強硬な抗議が届いた[2]

三池崇史は「『仁義なき戦い』とか、『県警対組織暴力』とか、いま、僕らが子供のころ観た映画って絶対に作れないです」と述べている[31]

斉藤ひろしは「シナリオの勉強をするためには『仁義なき戦い』より『県警対組織暴力』の方がいいですね。でも『県警対組織暴力』は完璧すぎなんで、これからシナリオを学ぶ人にとって『仁義なき戦い』からの方がいいかもしれないです」などと述べている[32]

エピソード

川谷拓三への取調室での暴行シーン

本作品は、ヤクザ役の川谷拓三へ、警官役の菅原文太山城新伍が取調室で暴行を加えるシーンが有名な見所になっている[34]。暴力的な取締のシーンは数あれど、その域を超えている[35]。たまたま笠原和夫が撮影を観ていて、ひっくり返って喜んでいたという[35]。最初いきがっていた川谷は、菅原と山城に、投げられ、裸に剥かれ、殴る蹴るの暴行を受けて泣き叫ぶ。滑稽さと迫真性から川谷の演技は評判となり、のちの川谷たちピラニア軍団の出世へとつながっていった。萩原健一は、このシーンを観て川谷のファンになり、倉本聰脚本のテレビドラマ『前略おふくろ様』のプロデューサーを通じて川谷に「共演したい」とオファーを出し、川谷は同作の利夫役に抜擢され、お茶の間でもブレイクした[36]。同じピラニア軍団室田日出男にも出てもらうことになったという。

このシーンに関して川谷は、これは正に自分の役だと感じたと語っている。公務執行妨害をしてしまい、4人くらいの警官に囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けるというよく似た経験をしたことがあったからである。川谷が「本当に殴って下さい」というので、深作は本人が言うんだから仕方ないと、菅原と山城に川谷を本気で殴らせたと述べている[35]。翌日、川谷は顔がぼこぼこになっていた。ロッテルダム国際映画祭でも場内が笑いの連続で沸きに沸いたという[35]

なお、同じく深作欣二監督、笠原和夫脚本の映画『やくざの墓場 くちなしの花』では、川谷は本作と逆に取調室でヤクザを痛めつける刑事役を演じている。

1993年10月21日放送分の『ダウンタウンDX』でくしくもこの三人が揃ってゲスト出演し当時を回顧。川谷は「あれは楽しかったなぁ」と満面の笑みで感想を述べ、「痛めつけられたのに何で楽しいんですか!」とダウンタウンを驚かせた。

ソフト化

東映ビデオからDVD・ブルーレイが販売されている。

  • 県警対組織暴力 Blu-ray(2015年5月13日発売)
  • 県警対組織暴力 DVD(2015年3月13日発売・廉価版)
  • 県警対組織暴力 DVD(2009年6月1日発売・廉価版)
  • 県警対組織暴力 DVD(2003年3月21日発売)

同時上映

華麗なる追跡

※1975年5月13日(火)まで、本作と上記の二本立て。丸の内東映上野東映のみ、これ以降も『県警対組織暴力』『華麗なる追跡』のロングラン上映[37]四週間(?)。その他の劇場は併映作の変更があり、1975年5月14日(水)から『県警対組織暴力』『玉割り人ゆき』(主演:潤ますみ/監督:牧口雄二)『札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』(主演:芹明香/監督:関本郁夫)の三本立て[37][38][39](地方の劇場がロングランを嫌がるための対応、東映ポルノ#東映ニューポルノ)。

関連する映画

仁義なき戦い』シリーズは、本作品と同じ監督、脚本、音楽、俳優陣による作品である。また、『やくざの墓場 くちなしの花』は同じ監督、脚本で警官とヤクザの癒着をテーマに描く映画であり、本作品の姉妹的な作品である。

本作は「ヤクザ映画」の代表作としても有名であり、漫画やアニメといった実写作品以外で「ヤクザ映画」をパロディとして扱った作品にタイトルが借用されていることがある。1999年製作のオリジナルビデオアニメーションてなもんやボイジャーズ』、2007年放映の『瀬戸の花嫁』では「県警対組織暴力」というそのままのサブタイトルの回がある。また、大西ユカリと新世界の楽曲に「『県警対組織暴力』をもう一度」がある(2006年発売のアルバム『おんなのうた』収録)。

脚注

  1. ^ a b c d サンデー毎日、1975年3月9日号、p.38
  2. ^ a b c d e f g 藤木TDC「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖(53)」『映画秘宝』、洋泉社、2010年12月号、101頁。 
  3. ^ a b 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、232-235頁。ISBN 4-06-209594-7 
  4. ^ a b c 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、326-328頁。ISBN 4-1637-68-10-6 
  5. ^ a b c 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(7)“刑事役”と“舟唄”を結ぶ線
  6. ^ a b 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、180-181頁。ISBN 4-87932-016-1 岡田茂『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』角川書店、2004年、223-227頁。ISBN 4-04-883871-7 
  7. ^ a b c d 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、95-97頁。ISBN 978-410333231-2 
  8. ^ 山口組分裂 東映「仁義なき戦い」シリーズなどを手がけた大物プロデューサーが激白 「ドンパチがないと映画にはならん!」”. 産経ニュース. 産業経済新聞社 (2016年5月7日). 2021年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。
  9. ^ “日本映画の企画・製作について語り合う—前篇− 塩田明彦×斉藤守彦対談”. Cinemas PLUS (株式会社クラップス). (2016年5月23日). オリジナルの2016年8月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160826095532/https://cinema.ne.jp/recommend/shiota2016052307/2/ 2018年9月27日閲覧。 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、82頁。ISBN 978-4104609017 高岩淡『銀幕おもいで話』双葉社、2013年、126 -127頁。ISBN 4-5757-14-01-1 新潮45』2004年9月号、新潮社、p. 206
  10. ^ 「オヤオヤこんどは東映"両面作戦"」『週刊読売』、読売新聞社、1975年3月8日号、33頁。 
  11. ^ a b c d 笠原和夫、荒井晴彦絓秀実『昭和の劇:映画脚本家笠原和夫』太田出版、2002年10月、364-373頁。ISBN 4-87233-695-X 
  12. ^ a b 深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年7月、280-281頁。ISBN 4-89830-155-X 
  13. ^ a b c 平野共余子『日本の映画史-10のテーマ』くろしお出版〈日本語学習者のための日本研究シリーズ2〉、2014年9月、52-56頁。ISBN 978-4-87424-632-0 
  14. ^ 総特集=菅原文太-反骨の肖像- /【追悼】 野良犬のように 文・上野昂志」『現代思想』2015年4月臨時増刊号、青土社、15頁、ISBN 978-4-7917-1298-4 
  15. ^ シナリオ作家協会『笠原和夫 人とシナリオ』シナリオ作家協会、2003年。ISBN 4-915048-12-8 
  16. ^ a b c d e f “松方因縁のリリーフ 再び渡の代役…頼れる男『 県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年3月13日) 
  17. ^ a b c d e f “渡、突如出演を辞退東映首脳大あわてカゼこじらせ『県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年3月11日) 
  18. ^ 脇田巧彦 (2011年12月26日). “最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(76) 渡哲也を石原プロから引き抜き作戦”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 脇田巧彦 (2011年12月27日). “最後の活動屋 岡田茂 映画こそ我が人生 実録!! 東映六十年(77) 渡哲也東映移籍を拒否”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 14 
  19. ^ 「随想 東映スター渡哲也が誕生するまで」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年2月下旬号、48-49頁。 
  20. ^ “なになにッ! "良心の東映"悲壮な決意 病欠渡のポスターはがし”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年3月20日) 
  21. ^ a b “なになにッ! コイの身を焼く松方弘樹忙しすぎてああダメダ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年3月25日) 
  22. ^ 深作欣二山根貞男『映画監督 深作欣二』ワイズ出版、2003年、324-328頁。ISBN 4-89830-155-X 
  23. ^ “東映、二つの暴力"新路線"スタート『血で染めた"殴込み"』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年4月4日) 
  24. ^ a b c 「松竹夏の総進撃態勢語る人・三嶋与四治氏(松竹取締役・製作本部長・宣伝担当) 訊く人・北浦馨」『映画時報』1975年5月号、映画時報社、9頁。 
  25. ^ a b “なになにッ! 花のアイドル"大学対抗"スクリーン黄金週間の激突”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年3月27日) 
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  27. ^ a b c d e “なになにッ!キス?それともプレゼント?天下分け目の"GW"PR戦”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年4月25日) 
  28. ^ a b c d e “モモは鯉に…サクラはダルマで気勢 "GWの顔"呼込み合戦まず文太リード、邦画火ぶた”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年4月27日) 
  29. ^ a b “なになにッ! "跳び蹴り"でかせぐ2億円 東映の孝行娘・志穂美悦子”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年2月19日) 
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  32. ^ 「『チーム・バチスタの栄光』脚本家インタビュー 斉藤ひろし 〈聞き手・構成〉野村正昭」『シナリオ』2008年4月号、日本シナリオ作家協会、19頁。 
  33. ^ 杉作J太郎、植地毅『トラック野郎 浪漫アルバム』徳間書店、2014年、p.216
  34. ^ 快楽亭ブラックの黒色映画図鑑「県警対組織暴力」
  35. ^ a b c d 深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年7月、324-328頁。ISBN 4-89830-155-X 
  36. ^ スポーツニッポン2009年11月8日、p.6
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  38. ^ 「今号の新作」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、34頁。 
  39. ^ 『古都金沢撮影の現場から 文・牧口雄二』日本シナリオ作家協会、1975年8月号、30-31頁。 

外部リンク

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