登州登州(とうしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から明初にかけて、現在の山東省煙台市と威海市にまたがる地域に設置された。 概要621年(武徳4年)、唐により東萊郡文登県に登州が立てられた。627年(貞観元年)、ひとたび登州は廃止された。692年(長寿元年)、萊州が分割され、再び登州が立てられた。その州治は牟平県に置かれた。707年(神龍3年)、登州の州治は蓬萊県に移された。742年(天宝元年)、登州は東牟郡と改称された。758年(乾元元年)、東牟郡は登州の称にもどされた。登州は河南道に属し、蓬萊・牟平・文登・黄の4県を管轄した[1]。 北宋のとき、登州は京東東路に属し、蓬萊・牟平・文登・黄の4県を管轄した[2]。 金のとき、登州は山東東路に属し、蓬萊・黄・福山・棲霞の4県と孫大川・馬停の2鎮を管轄した[3]。 元のとき、登州は般陽路に属し、蓬萊・黄・福山・棲霞の4県を管轄した[4]。 1368年(洪武元年)、明により登州は萊州府に属した。1373年(洪武6年)、登州は山東等処承宣布政使司に直属した。1376年(洪武9年)、登州は登州府に昇格した。登州府は山東省に属し、直属の蓬萊・黄・福山・棲霞・招遠・萊陽の6県と寧海州の文登県、合わせて1州7県を管轄した[5]。 清のとき、登州府は山東省に属し、蓬萊・黄・福山・棲霞・招遠・萊陽・海陽・栄成・文登・寧海州の1州9県を管轄した[6]。 脚注 |