産田神社
産田神社(うぶたじんじゃ)は三重県熊野市有馬町の神社である。 由緒と歴史「産田」は産所の意であり、『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる[1]。また、付近に位置する花窟神社が、亡くなった伊奘冉尊の墓所であるとされる[2]。 創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573-1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳である。古くは1132年(長承元年)、崇徳天皇が産田神社へ行幸したことが『熊野年代記』に記される[3]。神社の歴史を示すものとしては、1521年(永正18年霜月14日)の棟札が認められる[3]。 1600年(慶長5年)に豊臣秀頼より二王門が寄進されている。また、1732年(享保17年)には紀州藩より灯籠が寄付され[3]、社殿が修復された[1]。 1871年(明治4年)に郷社とされる。1906年(明治39年)12月25日に神饌幣帛料供進社として指定され、翌1907年(明治40年)12月6日には村内の小社5社を合祀した[1]。 祭神伊弉諾尊、伊弉冉尊、軻遇突智尊、天照皇大神、大山祇命、木華開耶姫命、神武天皇[1]。 1521年(永正18年)の棟札には「奉棟上産土神社二所大明神」とあり[3]、『紀伊続風土記』よると、「二所大明神」は伊弉冉尊と軻遇突智尊の2神を指すことから、当初は伊弉冉尊と軻遇突智尊が祀られ、後に夫神である伊弉諾尊が併祀されるようになったといわれる[1]。 境内例祭
神徳
文化財
交通脚注
関連項目外部リンク
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