珠洲郡(すずぐん)は、石川県(能登国)にあった郡。2005年(平成17年)3月1日に鳳至郡と統合して鳳珠郡となった。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に羽咋郡・能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。
近世以降の沿革
知行
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村数
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村名
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藩領
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加賀藩
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1町 108村
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小木村、市之瀬村、《河ヶ谷村》、新保村、越坂村、羽根村、小浦村、山中村(現・鳳珠郡能登町)、《満泉寺村》、国重村、時長村、宮犬村、《清真村》、秋吉村、九里川尻村、立壁村、《四方山村》、白丸村、長尾村、松波村、恋路村、上村、滝之坊村、《行延村》、布浦村、不動寺村、駒渡村、《田代村》、鳥越村、大町泥木村、馬渡村、鵜島村、《黒丸村(現・珠洲市宝立町南黒丸)》、宗玄村、堂谷村、下鳥越村、法住寺村、広国村、鵜飼村、《金峯寺村、西方寺村》、南方村、寺社村、北方村、経念村、《古蔵村》、中田村、《火宮村、向村》、延武村、《内山村、国兼村》、大坊村、《二子村》、黒丸村(現・珠洲市若山町上黒丸)、《中村、宗末村》、上正力村、北山村、《吉ヶ池村、上山村》、南山村、《白滝村、洲巻村》、飯田町、鹿野村、《本江寺新村》、広栗村、鈴内村、出田村、正院村、小路村、飯塚村、岩坂村、岡田村、《唐笠村》、熊谷村、川尻村、蛸島村、雲津村、《竹沢村》、小泊村、《小泊新村》、山中村(現・珠洲市)、杉山村、本村、細屋村、粟津村、森腰村、伏見村、宇治村、引砂村、《高波村》、大屋村、寺家村、狼煙村、《狼煙新村》、高屋村、笹波村、折戸村、川浦村、大谷村、長橋村、馬緤村、片岩村、清水村、仁江村、真浦村、大沢村[3]
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幕府領・藩領
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幕府領・加賀藩
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1村
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真脇村
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町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・珠洲市。(1町19村)
- 飯田町(単独町制)
- 小木村 ← 小木村、市之瀬村、越坂村(現・鳳珠郡能登町)
- 高倉村 ← 真脇村、小浦村、羽根村、大沢村(現・鳳珠郡能登町)
- 木郎村 ← 時長村、行延村、不動寺村、宮犬村、国重村、山中村、満泉寺村、田代村、滝ノ坊村、駒渡村(現・鳳珠郡能登町)
- 宮崎村 ← 立壁村、四方山村、九里川尻村、秋吉村、清真村、白丸村、長尾村、新保村、河ヶ谷村(現・鳳珠郡能登町)
- 松波村 ← 松波村、上村、布浦村、恋路村(現・鳳珠郡能登町)
- 鵜島村 ← 南黒丸村、鵜島村、宗玄村
- 黒峰村 ← 橿原村、大町泥木村、馬渡村
- 見付村 ← 春日野村、鵜飼村、金峯寺村
- 上戸村 ← 北方村、南方村、寺社村
- 東若山村 ← 出田村、広栗村、経念村、鈴内村、古蔵村、中田村、火宮村
- 西若山村 ← 延武村、内山村、国兼村、大坊村、中村、上正力村、宗末村、二子村、吉ヶ池村、北山村、上黒丸村、南山村、白滝村、洲巻村、上山村、向村
- 直村 ← 野々江村、熊谷村、岩坂村
- 正院村 ← 正院村、川尻村、飯塚村、小路村、岡田村
- 三崎村 ← 寺家村、粟津村、大屋村、森腰村
- 鉢崎村 ← 引砂村、宇治村、杉山村、高波村、雲津村、竹沢村、小泊村、伏見村、細屋村、本村、小泊新村
- 大谷村 ← 大谷村、仁江村、真浦村、清水村、片岩村、長橋村
- 大崎村 ← 馬緤村、高屋村、笹波村
- 日置村 ← 折戸村、狼煙村、狼煙新村、東山中村、川浦村、唐笠村
- 蛸島村(単独村制)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治40年(1907年)10月15日(1町14村)
- 小木村・高倉村が合併し、改めて小木村が発足。
- 宮崎村・木郎村・松波村が合併し、改めて木郎村が発足。
- 日置村・大谷村・大崎村が合併して西海村が発足。
- 明治41年(1908年)8月15日(1町10村)
- 鵜島村・黒峰村・見付村が合併して宝立村が発足。
- 東若山村・西若山村が合併して若山村が発足。
- 鉢崎村・三崎村が合併し、改めて三崎村が発足。
- 大正10年(1921年)1月1日 - 小木村が町制施行して小木町となる。(2町9村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止され、珠洲支庁が設置される[5]。
- 昭和7年(1932年)4月1日 - 珠洲支庁廃止[6]。
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は308.36平方km、人口は41,629人(男20,309人・女21,320人)[7]。
- 昭和15年(1940年)8月15日 - 宝立村が町制施行して宝立町となる。(3町8村)
- 昭和16年(1941年)11月3日 - 正院村が町制施行して正院町となる。(4町7村)
- 昭和23年(1948年)5月1日 - 木郎村が改称・町制施行して松波町となる。(5町6村)
- 昭和29年(1954年)7月15日 - 飯田町・宝立町・正院町・上戸村・若山村・直村・三崎村・西海村・蛸島村が合併して珠洲市が発足し、郡より離脱。(2町)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)12月1日 - 松波町が改称して内浦町となる。
- 平成17年(2005年)3月1日 - 以下の変更により珠洲郡消滅。石川県内では鳳至郡と共に初の郡消滅となった。
- 内浦町が鳳至郡能都町・柳田村と合併して能登町が発足。
- 能登町と鳳至郡の残部2町(門前町・穴水町)の区域をもって鳳珠郡が発足。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前
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明治22年4月1日
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明治22年 - 明治45年
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大正1年 - 昭和25年
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昭和25年 - 昭和30年3月
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昭和30年4月 - 昭和32年
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昭和33年 - 平成17年2月
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平成17年3月1日
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飯田町
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飯田町
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飯田町
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昭和29年7月15日 珠洲市
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珠洲市
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正院村
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正院村
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昭和16年11月3日 町制正院町
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上戸村
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上戸村
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上戸村
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直村
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直村
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直村
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蛸島村
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蛸島村
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蛸島村
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鵜島村
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明治41年8月15日 宝立村
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昭和15年8月15日 町制 宝立町
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見付村
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黒峰村
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東若山村
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明治41年8月15日 若山村
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若山村
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西若山村
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三崎村
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明治41年8月15日 三崎村
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三崎村
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鉢崎村
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日置村
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明治40年10月15日 西海村
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西海村
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大崎村
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大谷村
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松波村
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明治40年10月15日 木郎村
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昭和23年5月1日 町制改称 松波町
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松波町
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昭和30年10月10日 能都町から旧小木村を編入 松波町
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昭和33年12月1日 改称 内浦町
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平成17年3月1日 鳳珠郡能登町の一部
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木郎村
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宮崎村
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小木村
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明治40年10月15日 小木村
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大正10年1月1日 町制小木町
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昭和30年3月25日 鳳至郡能都町の一部
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高倉村
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鳳至郡能都町の一部
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行政
歴代郡長
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代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
前職 |
後職 |
備考
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1 |
崎田政達 |
不詳[8] |
不詳[8] |
石川県第六大区長 |
不詳 |
兼鳳至郡長
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2 |
加藤鏆二 |
1879年(明治12年)11月27日[8] |
1881年(明治14年)5月30日[8] |
石川県六等属 |
鹿島郡長 |
兼鳳至郡長
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国枝逸蠖 |
1881年(明治14年)6月3日[8] |
1881年(明治14年)10月8日[8] |
鳳至郡書記 |
解職 |
郡長心得
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3 |
勝木菊正 |
1881年(明治14年)10月8日[8] |
1883年(明治16年)9月22日[8] |
石川県六等属 |
依願免本官 |
兼鳳至郡長
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4 |
国枝逸蠖 |
1883年(明治16年)9月22日[8] |
1884年(明治17年)1月17日[8] |
石川県七等属 |
珠洲郡長 |
兼鳳至郡長
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1884年(明治17年)1月17日[8] |
1893年(明治26年)1月23日[8] |
鳳至・珠洲郡長 |
石川郡長
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5 |
半井栄 |
1893年(明治26年)1月23日[8] |
1893年(明治26年)12月2日[8] |
石川県属 |
非職
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6 |
野崎近彝 |
1893年(明治26年)12月2日[8] |
1896年(明治29年)10月2日[8] |
石川県属 |
非職
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7 |
岩田寛忠 |
1896年(明治29年)10月2日[8] |
1897年(明治30年)4月30日[8] |
石川県属 |
河北郡長
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8 |
中川長吉 |
1897年(明治30年)5月10日[8] |
1897年(明治30年)11月29日[8] |
石川県属 |
非職
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9 |
村尾震三郎 |
1897年(明治30年)11月29日[8] |
1900年(明治33年)10月2日[8] |
大蔵属 |
河北郡長
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10 |
柴田是 |
1900年(明治33年)10月2日[8] |
1903年(明治36年)3月31日[8] |
河北郡長 |
石川郡長
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11 |
大津辰三郎 |
1903年(明治36年)3月31日[8] |
1904年(明治37年)7月26日[8] |
石川県警部 |
羽咋郡長
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12 |
植田行忠 |
1904年(明治37年)7月26日[8] |
1907年(明治40年)4月12日[8] |
石川県警視 |
鳳至郡長
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13 |
吉田直矩 |
1907年(明治40年)4月12日[8] |
1909年(明治42年)8月16日[8] |
石川県属 |
鳳至郡長
|
14 |
河崎宇吉郎 |
1909年(明治42年)8月16日[8] |
1913年(大正2年)4月19日[8] |
石川県属 |
河北郡長
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15 |
一瀬勝三郎 |
1913年(大正2年)4月19日[9] |
1913年(大正2年)6月20日[10] |
石川県警視 |
長崎県警視
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16 |
磯野淳太郎 |
1913年(大正2年)6月20日[10] |
1914年(大正3年)8月21日[11] |
石川県属 |
依願免本官
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17 |
高橋秀 |
1914年(大正3年)8月21日[11] |
1917年(大正6年)6月26日[12] |
石川県警部 |
鳳至郡長
|
18 |
高松丈五郎 |
1917年(大正6年)6月26日[12] |
1920年(大正9年)3月25日[13] |
河北郡長 |
休職
|
19 |
毎田周治郎 |
1920年(大正9年)3月25日[14] |
1922年(大正11年)5月9日[15] |
石川県視学兼石川県属 |
鳳至郡長
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20 |
秋山宗俊 |
1922年(大正11年)5月9日[15] |
1923年(大正12年)12月27日[16] |
石川県警部警務課長 |
休職
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21 |
鈴木嘉久雄 |
1923年(大正12年)12月27日[17] |
1926年(大正15年)7月1日[18] |
石川県属 |
石川県地方事務官
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歴代支庁長
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1 |
小石喜代造 |
1926年(大正15年)7月1日[18] |
1929年(昭和4年)8月15日[19] |
鳳至郡長 |
休職
|
2 |
岡本敬一 |
1929年(昭和4年)8月15日[19] |
1931年(昭和6年)1月30日[20] |
石川県地方事務官 |
依願免本官
|
3 |
松橋宗次郎 |
1931年(昭和6年)1月30日[21] |
1932年(昭和7年)3月31日[22] |
石川県警部七尾警察署長 |
依願免本官
|
脚注
- ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《小木村/市瀬村》請新田が記載されている。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」では真脇村に含まれると見られる。
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 『官報』第4134号「内務省告示第82号」1926年6月5日。
- ^ 『官報』第1562号「内務省告示第49号」1932年3月17日。
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 石川県史 第四編 175-178頁
- ^ 『官報』第215号「叙任及辞令」1913年4月21日。
- ^ a b 『官報』第268号「叙任及辞令」1913年6月21日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第1471号「叙任及辞令」1917年6月27日。
- ^ 『官報』第2293号「叙任及辞令」1920年3月27日。
- ^ 『官報』第2292号「叙任及辞令」1920年3月26日。
- ^ a b 『官報』第2929号「叙任及辞令」1922年5月10日。
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
- ^ a b 『官報』第4162号「叙任及辞令」1926年7月8日。
- ^ a b 『官報』第791号「叙任及辞令」1929年8月17日。
- ^ 『官報』第1225号「叙任及辞令」1931年1月31日。
- ^ 『官報』第1227号「叙任及辞令」1931年2月3日。
- ^ 『官報』第1574号「叙任及辞令」1932年4月1日。
参考文献
関連項目