森恒二森 恒二(もり こうじ、1966年11月28日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。妻は漫画家のあっきう。『ヤングアニマル』連載の『ホーリーランド』は、テレビドラマ化もされた。 略歴生い立ち小さいころから体格に恵まれ、親の勧めで入ったリトルリーグで野球に打ち込んでいた。所属していたチームは全国大会で優勝を経験している。本人は野球にあまり乗り気ではなく、家でのお絵描きのほうが楽しかったと語っている[1]。中学1年時に『がんばれ元気』を読んで漫画家を志すようになった。 入学した高校で三浦建太郎と友人となり、両親がデザイナーであった三浦の家で共に漫画を描くようになった[1]。当時、二人で描いた合作が『週刊少年サンデー』の最終選考に残ったという[2]。技来静也も同じ高校の同級生だったが、当時は漫画を描いておらず、交流は無かった[1][3]。 両親との仲がうまくいかない森に、三浦の両親から三浦の家で生活することを提案され、一緒に登下校し帰って漫画を描いていた時期もあった。しかしいつまでも世話になるわけにいかず、下北沢などを遊び歩き、喧嘩に明け暮れるようになる[1]。 大学時代大学は三浦と共に日本大学藝術学部美術学科に入学した。大学時代はグローブ空手の同好会に所属している[4]。 漫画の投稿も続けており、賞も獲得していたが掲載には至らず、ある編集者からストーリーは編集に任せて作画だけで良いと言われたことがきっかけとなり、スランプに陥ってしまい、六本木などで荒れた生活を送っていた[5]。 大学4年のときに、三浦が武論尊の原作で漫画家デビューが決まったのは「森の助言」がきっかけだったが、自身は荒んだ生活の中で複雑な気持ちだったと語っている[5]。 デビュー後大学卒業後はデザイナーとして広告イラストやCMの絵コンテ製作などに携わっており、稼いではいたが生活は荒れていたという。 その後、25歳のときに鈴鹿サーキットで行なわれたF1の取材の帰りにバイクで大事故に遭ったのがきっかけとなって、再び漫画の道を志すようになった[3]。それから5年かけて連載を勝ち取り、2000年から『ヤングアニマル』で『ホーリーランド』の連載を開始し、自身の経験を元にした同作は人気作品となった。 2008年よりヤングアニマル誌上にて、異色の自殺志願者サバイバル漫画『自殺島』を連載。2010年より週刊ヤングジャンプ誌上にて、超能力によるSFアクション漫画『デストロイ アンド レボリューション』を連載。 2017年よりイブニング誌上にて、原始時代にタイムスリップした青年たちを描いたSFアクション漫画『創世のタイガ』を連載した。2019年より、ヤングアニマル誌上にて『無法島』を連載した。 現在、2023年よりヤングアニマル誌上にて『D.ダイバー』を連載中。 三浦建太郎との関係2021年5月6日、高校時代からこれまでお互いに支えあってきた、盟友の三浦建太郎が死去した。 三浦とは高校時代から、互いの漫画のストーリーや設定について相談し合う仲だった。そのため生前の三浦から『ベルセルク』最終回までの構想を唯一聞かされており、設定が変更されるたびに修正後の最終回まで聞かされ、設定を忘れると三浦に怒られることもあったとのこと[6]。また『創世のタイガ』連載の切っ掛けになったのも、三浦の発言だったと言う[7]。後述の自伝執筆にしても内容が森の得意分野であると指摘した上、三浦自身が「自分は現代劇など描かない」と断言して押し付けられたと言う。 三浦のアシスタントを務めていたということと、『ベルセルク』の登場人物であるグリフィスのモデルが自分であると語ったという話については、誤解や間違いであると述べている。スランプから挫折した森が漫画を離れていたころ、三浦からは度々漫画に関する相談を受けたが作画作業には一切関わらせてもらえなかったとのこと。なお、グリフィスのセリフの一部に森が高校時代に格好付けて三浦に言ったセリフがそのまま使われている部分があるという[3]。 漫画家としての活動も軌道に乗ってきた頃から、三浦本人に自身と三浦2人の自伝作品を描くことを勧められ、知人や家族にも周知させられた結果「還暦過ぎたら描く」と約束させられていたと言う。三浦の急死を悼む特別寄稿メッセージ小冊子「Message to KENTROU MIURA(ヤングアニマル2021年18号)」にて、自伝作品「モリちゃん ケンちゃん」の予告編を発表した。 また、三浦の死去により未完となった『ベルセルク』が、三浦の弟子たちの手により2022年6月24日発売のヤングアニマル13号から連載を再開することとなり、三浦の生前に最終回までの展開を聞いていた森は、監修を務めることとなった[8]。 その他
作品リスト連載
その他
脚注出典
参考文献
外部リンク
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