梓潼県
梓潼県(しとう-けん)は中華人民共和国四川省綿陽市に位置する県。 地理梓潼県は四川盆地北西部、綿陽市北東部に位置する。 歴史『広博物志』によれば梓潼は旧名を尼陳山と称し、夏朝の禹の治水工事の際に泥を積み上げたことから命名された。梓潼の名称は戦国時代に「東倚梓林、西枕潼水」より命名された。春秋戦国時代は蜀国の版図であった。秦の恵文王は司馬錯を派遣し蜀国を滅ぼした後、梓潼は秦の属地とされた。前285年、に広漢郡の下に梓潼県を設置した。県治は現在の文昌鎮に設置されたが、115年(元初2年)に現在の県治に移転し現在に至る。 また梓潼県は『三国志』の舞台としてもしばしば登場し、益州を治めた劉備は、霍峻の功績を賞して、広漢郡の一部を割いて梓潼郡を設定し、霍峻を梓潼太守に任命したという記録がある(霍峻伝)。李平(李厳)が諸葛亮により流罪させられたのも梓潼郡である(李厳伝)。蜀漢末期に楊戯が梓潼太守に任命されている(楊戯伝)。 行政区画→「中華人民共和国の行政区分」を参照
13鎮、3郷を管轄する。 交通
健康・医療・衛生
関連項目外部リンク
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