アバ県
アバ県(アバけん)は、中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州に位置する県。県政府所在地は阿壩鎮にある。 チベット語の発音に由来する「ガパ (rnga ba, ンガバ)」あるいは「ガワ(ngawa)」と表記されることもあり、これらは「収穫」の意味を持つチベット語である。中国語表記の「阿壩」はその音写であり、日本で主に使用されている「アバ」は漢字表記の日本語の音読みである。 地理
歴史アバ地区に初めて行政区画が設置されたのは、唐初に剣南道に設置された168の羈穈州にさかのぼる。アバ地区は権州都督府の管轄とされた。638年(貞観12年)、吐蕃のソンツェン・ガンポが大軍を率いて松州に至り文成公主を迎えてからは、アバ地区は吐蕃の支配下に置かれている。元代になると土官制が採用され、地方官である土官は世襲されることとなった。明朝が成立すると潘州衛の管轄とされ、永楽年間には上中下阿壩が松潘衛の管轄となり三阿壩と称された。 清代になると康熙年間に松潘庁が設置され、アバ地区を管轄した。1912年(民国元年)、中華民国が成立すると松潘県の管轄とあり、11大部落、37小部落が形成され、阿壩の名称で称されるようになった。 1951年、国共内戦の結果中華人民共和国の行政権が及ぶようになると、12月に県級の阿壩蔵族自治区人民政府が設置された。1954年1月、西南行政委員会は県の設置を認可、アバ県が成立した。 行政区画→「中華人民共和国の行政区分」を参照
下部に6鎮、9郷を管轄する 交通中華人民共和国成立以前の交通は前近代的な隘路と牛馬による運送に頼る状況であった。1955年11月、中国政府は最初の近代的な道路として成阿公路建設を嚆矢に省道2本、県道3本を初め650キロメートルに及ぶ道路網が建設されている。 また1952年にはアバ郵電局が、1988年10月には電話回線の敷設が行われている。 経済アバ県の経済は遊牧業、農業、林業が主体となっている。中華人民共和国成立後はそれまでの原始的な遊牧業、農業の近代化が推進され、機械化、品種改良が行われるとともに獣医育成が推進された。1960年代から1970年代にかけては大規模農園や林場が設置されたが、文化大革命の影響により生産は停滞、1982年から採用された請負制により生産効率の向上が図られている。 教育現在県内には下記教育機関が設置されている
健康・医療・衛生
関連項目外部リンク
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