桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )は、日本のアナウンサー(TBS→フリー)、ナレーター。本名、桝井 貞之(ますい さだゆき)[2]。愛称は「ロンペー」。
東京府東京市江戸川区(現:東京都江戸川区)出身[3]。有限会社桝井論平事務所取締役会長[4]。血液型A型。江戸川区立小岩小学校[5]、開成中学校・高等学校を経て学習院大学政経学部卒業[6][7]。テレビプロデューサー・実業家(桝井論平事務所代表取締役)の桝井あけぼのは長女[8]。
人物
1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)[9][10]。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)、報道総局アナウンス部(1990年2月)、アナウンスセンター(1991年5月)に配属[11]。宇野とTBSラジオで放送された数々のラジオCMで共演する事も多かった。大沢のラジオでの代名詞『お色気大賞』で架空の人物の名前として使われたことがない。
アナウンサーとしてラジオのパーソナリティやテレビのレポーター、舞台中継などで活躍[12]。1970年当時、TBSの人気深夜番組だった「パックインミュージック」に登場し一躍DJとして伝説的な存在となった[13]。
TBSアナウンサー時代の先輩である吉村光夫、榎本勝起にかわいがられ、のちに吉村、榎本が担当していたテレビ番組のナレーター等も数多く担当した。
その後、アナウンスセンターの専任部長として多くのアナウンサーを育成している[14]。
1993年7月、ラジオ営業局営業推進部に異動[11]、TBSハウジングの担当部長となる。1993年8月には企画事業部に異動[11]。1999年11月に定年退職[15][11]、12月に有限会社桝井論平事務所を立ち上げ、フリーランスに[16][注釈 1]。TBS退職後も3年間TBS会館ハウジング事業室室長を務めた。
報道担当ではなかったため『JNNニュース』などの担当経験はなかった(TBS時代の久米宏・生島ヒロシなども同様)。
2002年、千葉県鎌ケ谷市長選挙に立候補したものの落選。
出演番組
ラジオ
テレビ
CM
ビブリオグラフィ
著書
- ぼくは深夜を解放する!―続・もう一つの別の広場 (1970年、ブロンズ社)
- 上を向いて話そう(2016年、ほんの木)
脚注
注釈
- ^ 桝井論平事務所公式サイト「会社概要」では、設立日を1999年11月15日としている[4]。
出典
- ^ “あの人は今こうしている TBSの名物DJだった桝井論平さん “平和”を訴え小論執筆も”. 日刊ゲンダイ. (2016年3月22日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/177394 2018年8月11日閲覧。
- ^ 伊藤友治,TBSラジオ 編『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年10月1日、186頁。ISBN 978-4-907583-63-7。
- ^ “プロフィール”. 2014年11月10日閲覧。 “出身地 東京都江戸川区小岩町”と記述。
- ^ a b “会社概要”. 有限会社 桝井論平事務所. 桝井論平事務所. 2014年11月10日閲覧。 “1999年12月に有限会社桝井論平事務所を設立、フリーランスの立場でアナウンス活動を開始。”と記述。
- ^ “プロフィール”. 2014年11月10日閲覧。 “母校の江戸川区立小岩小学校”と記述。
- ^ “プロフィール”. 有限会社 桝井論平事務所. 桝井論平事務所. 2014年11月10日閲覧。 “出身校 開成高等学校・学習院大学政経学部”
- ^ “桝井論平×柳澤健「話すこと、書くこと、表現すること」 『上を向いて話そう』(ほんの木)『1984/のUWF』(文藝春秋)刊行記念”. 本屋 B&B. B&B (2017年2月4日). 2018年8月11日閲覧。 “私立開成学園中学・高校、学習院大学政治経済学部卒業。”
- ^ “テレビ番組プロデューサー桝井あけぼのさんのプロフィールページ”. テレビ番組プロデューサー桝井あけぼの. サイバーエージェント. 2018年8月11日閲覧。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「1964.4<9期生> 10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢悠里 小島康臣 平原晋太郎 桝井貞之 宇野淑子 高階玲子 二村義子 山田照子 吉野好子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16-18頁。「64.4 <9期生>10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢 悠里 小島 康臣 平原 晋太郎 桝井 貞之 宇野 淑子 高階 玲子 二村 義子 山田 照子 吉野 好子」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、17頁。「桝井 貞之…[64.5R編成局放送実施部][66.1 R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 第一制作部兼アナウンサー研修室付][69.3 放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室][89.1 報道総局アナウンス部兼R総局情報制作局Rワイド部][90.2 報道総局アナウンス部][91.5 アナウンスセンター][93.7 ラジオ営業局営業推進部][93.8 企画事業部][99.11 定年] R「パック・イン・ミュージック(69)」「ゴールデン・パレード(69)」「土曜ワイド ラジオTokyo(70)」「東京赤坂歌謡曲(74)」「突撃モグラ隊(76)」「クローズアップにっぽん(78)」「アクション・タイム(81)」「スーパーワイド・ぴいぷる(85)」「ときめきランチタイム(86)」「ロンペーのマル得サタデー(86)」「ロンペーのお昼にしましょう(87)」「ロンペーの夜に乾杯(89)」「時遊人倶楽部(90)」 ★「アクション・タイム」<第7回アノンシスト賞 ラジオ番組部門最優秀賞受賞> TV「モーニングジャンボ<リポーター>(71)」「まんがはじめて面白塾(89)」」
- ^ “桝井 論平 (講師陣データベース)”. ブレーン. 2014年11月10日閲覧。 “アナウンサーとしてラジオのパーソナリティ、テレビのリポーター、舞台中継などで活躍。”と記述。
- ^ “桝井 論平 (講師陣データベース)”. ブレーン. 2014年11月10日閲覧。 “1970年当時、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」に登場。一躍、人気DJとして伝説的存在となった。”と記述。
- ^ “桝井 論平 (講師陣データベース)”. ブレーン. 2014年11月10日閲覧。 “その後、アナウンスセンター専任部長として多くのアナウンサーを育成した。”
- ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「桝井貞之[1999・11定年] R「パック(1969)」「アクション・タイム」「ときめきランチタイム(1986)」 TV「モーニングジャンボ<リポーター>」「まんがはじめて面白塾(1989)」」
- ^ “プロフィール”. 有限会社 桝井論平事務所. 桝井論平事務所. 2014年11月10日閲覧。 “1999年12月に有限会社桝井論平事務所を設立、フリーランスの立場でアナウンス活動を開始。”と記述。
- ^ “桝井論平 久米宏の代役なんですけど”. TBSラジオ (2018年3月17日). 2018年3月17日閲覧。
参考文献
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
- 伊藤友治,TBSラジオ 編『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年10月1日。ISBN 978-4-907583-63-7。
外部リンク