桂潜太郎桂 潜太郎(かつら せんたろう、1855年1月26日〈安政元年12月9日[1][2][3]〉 - 1928年〈昭和3年〉11月21日[3])は、明治から昭和時代初期の官吏。宮中顧問官。旧姓は細迫[1][2][3]。 経歴長門国豊浦郡阿川村(豊北町を経て現下関市豊北町大字阿川)に生まれる[1]。細迫礼介の長男[1][2]。1884年(明治17年)5月、絶家桂庄左衛門の家を再興する[1]。東京専門学校校外生となり、英法を学ぶ[3]。宮内省華族局に出仕し、のち爵位局主事に就任[3]。宮内書記官を兼ねたのち、東宮主事に転じ、東伏見宮別当を兼ね、東伏見宮別当泰宮御養育掛長兼宮中顧問官に就任した[2]。墓所は多磨霊園。 脚注参考文献 |