宮中顧問官(きゅうちゅうこもんかん)は、皇室または王室が存在する国の官職。多くの場合名誉職的な意味合いが強い。
日本の宮中顧問官
大日本帝国憲法下、宮内大臣の諮問に応じる職。勅任宮内官を5年以上務めた者を対象とし、定員は15名以内、勅任官待遇。1885年の内閣制度創設の際、明治18年太政官達第68号により、内大臣・内大臣秘書官とともに設置された。「帝室ノ典範儀式ニ係ル事件ニ付諮詢ニ奉対シ意見ヲ具上」することを任務とし、議事は内大臣が統轄した。
名称中「宮中」とあるように、戦前の日本では皇室・皇族関連を宮中、内閣以下政府を府中とする「宮中・府中の別」があり、国政関与は不可能であった。ここに佐々木高行・土方久元・元田永孚ら明治天皇側近の親政論者(中正派)を処遇することで、彼らの国政への影響力は弱まり、伊藤博文の立憲主義政治構想が進展した。
1907年、皇室令第3号として制定された「宮内省官制」により、宮中顧問官は定員25名の勅任名誉官と規定された(第21条)。麝香間祗候・錦鶏間祗候同様の名誉職となり、宮内大臣の求めに応じて宮内省の事務を助けるとされた。
1945年11月24日、内大臣府とともに廃止。
主な任官者
あ行
か行
さ行
- 佐佐木高行(参議兼工部卿、枢密顧問官、皇典講究所所長、國學院大學学長)
- 佐藤愛麿(駐アメリカ大使、駐スイス公使、駐オランダ公使)
- 佐藤正(陸軍少将従二位、広島市長)
- 佐藤恒丸(侍医頭、陸軍軍医総監)
- 佐野常民(伯爵、農商務大臣、大蔵卿、枢密顧問官、元老院議長、内国勧業博覧会副総裁)(1885年12月22日~1888年4月30日)
- 西郷吉義(侍医、陸軍軍医学校長)
- 斎藤桃太郎(帝室会計審査局長官)
- 税所篤(子爵、元老院議官、奈良県知事、枢密顧問官)
- 品川弥二郎(子爵、農商務大輔、御料局長、枢密顧問官、内務大臣)(1887年6月6日~1888年4月30日)
- 芝田徹心(女子学習院長・東京美術学校校長・第八高等学校校長)
- 渋谷在明(陸軍中将)
- 清水谷実英(伯爵、侍従、東宮武官)
- 白根専一(男爵、愛媛県知事、愛知各県知事、内務次官、逓信大臣)
- 杉栄三郎(帝室博物館総長)
- 曾我祐準(陸軍中将・貴族院議員)
- 副島種臣(伯爵、参議、外務卿、内務大臣、枢密院副議長、枢密顧問官:1886年~1888年)
- 園池実康(子爵、掌典次長)
- 園田安賢(男爵、警視総監、北海道庁長官)
た行
- 田内三吉(陸軍少将、侍従、東宮侍従)
- 高崎正風(男爵、御歌所長、枢密顧問官:1889年~1895年、國學院大學学長)
- 高辻修長(子爵、東宮侍従長)
- 高橋其三(帝室林野局次長、久邇宮家別当)
- 伊達宗陳(侯爵、宇和島伊達家第10代当主)
- 田中光顕(陸軍少将男爵、宮内大臣、内閣書記官長、陸軍省会計局長、警視総監、元老院議官)
- 醍醐忠直(式部官、掌典次長)
- 堤正誼(男爵、宮内次官)
- 寺島宗則(伯爵、参議、外務卿、元老院議官、駐アメリカ公使、枢密院副議長、枢密顧問官)(1885年12月22日~1888年4月30日)
- 戸田氏共(伯爵、オーストリア=ハンガリー公使、式部長官)
な行
- 長崎省吾(日本赤十字社理事、式部官、宮内書記官、宮内大臣秘書官、調度頭、閑院宮附別当)
- 中山孝麿(侯爵、貴族院議員、麹町区長)
- 長屋順耳(女子学習院長・東京外国語学校校長)
- 長与専斎(貴族院議員、元老院議官)
- 鍋島直大(麝香間祗候、元老院議官兼式部頭、式部長官、貴族院議員、イタリア公使、佐賀藩第11代藩主、國學院大學学長)
- 奈良原繁(男爵、日本鉄道会社社長、元老院議官、沖縄県知事、錦鶏間祗候)
- 南部光臣(男爵、貴族院議員、群馬県知事)
- 新山荘輔(獣医学博士)
- 西紳六郎(男爵、貴族院議員、海軍中将)
- 西村茂樹(従三位、華族女学校兼任)
- 二条基弘(公爵、摂家)
- 丹羽龍之助(式部官)
は行
- 橋本綱常(陸軍軍医総監従四位勲三等子爵医学博士、東京帝国大学医学部教授)
- 花房義質(子爵、ロシア公使、伏見宮別当、宮内次官、帝室会計検査局長、日本赤十字社社長)
- 馬場三郎(内蔵頭)
- 原恒太郎(従三位勲二等、内大臣秘書官、東宮侍従)
- 東園基愛(子爵、侍従)
- 土方久元(伯爵、内閣書記官長、元老院議官、農商務大臣、宮内大臣、帝室制度調査局副総裁、臨時帝室編修局総裁、皇典講究所所長、國學院大學学長)
- 日根野要吉郎(侍従)
- 日野西資博(子爵、侍従)
- 平山成信(男爵、内閣書記官長、枢密顧問官、日本赤十字社社長、行政裁判所評定官)
- 福岡孝弟(子爵、司法大輔、元老院議官、文部卿、参議、参事院議長、枢密顧問官)
- 福羽逸人(正三位勲一等子爵農学博士)
- 福原鐐二郎(貴族院議員、学習院長、東北帝国大学総長、文部次官)
- 藤井種太郎(学習院教授、広島高等師範学校教授)
- 藤波言忠(子爵、貴族院議員)
- 船越衛(男爵、千葉県知事、宮城県知事、貴族院議員)
- 北条氏恭(子爵、侍従)
- 北条時敬(貴族院議員、学習院長、東北帝国大学総長)
- 穂積八束(東京帝国大学教授、貴族院議員、枢密院書記官、法典調査会査定委員)
- 本田幸介(帝室林野局長官)
- 本多正復(子爵、掌典次長、東宮侍従)
ま行
や行
- 柳原前光(伯爵、枢密顧問官、元老院議長)
- 山内勝明(式部官)
- 山尾庸三(子爵、工部卿、参事院副議長、有栖川宮別当、北白川宮別当)(1885年12月23日~1888年2月7日)(法制局長官を兼任))
- 山県武夫(式部官)
- 山口鋭之助(京都帝国大学教授・学習院長)
- 山口正定(侍従長)
- 山田春三(貴族院議員、広島県知事、静岡県知事、埼玉県知事、福島県知事)
- 山辺知春(宮内省式部官、秩父宮家別当)
- 芳川顕正(東京府知事、文部大臣、司法大臣、内務大臣、逓信大臣、枢密顧問官、紙幣頭、皇典講究所所長、國學院大學学長)
- 吉田醇一(内蔵頭)
- 吉田要作(鹿鳴館館長)
わ行
- 和田国次郎(林学博士、大日本山林会会長)
- 渡辺勝三郎(徳島県知事、新潟県知事、長崎県知事、横浜市長、東洋拓殖株式会社総裁、高松宮家別当)
- 渡辺直達(式部次長)
- 渡部信(帝室博物館総長)
※参考文献:日本史籍協会編「明治史料顕職務補任録(一)」(続日本史籍叢書)東京大学出版会←明治35年5月5日付、任官者高辻修長までわかる。
その他の宮中顧問官
諸外国にも、宮中顧問官が存在した。
関連項目