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この項目では、愛媛県立今治西高等学校の本校について説明しています。今治市伯方町に所在する分校については「愛媛県立今治西高等学校伯方分校」をご覧ください。 |
愛媛県立今治西高等学校(えひめけんりついまばりにしこうとうがっこう)は、愛媛県今治市に所在する県立高等学校。
概観
1901年に愛媛県立西条中学校今治分校として設立[2]。校訓は規定されていないが、伝統的に「螢雪」が使用されている[5]。略称は「今西」「西高」[6]。
沿革
(年表における主要な出典は公式サイト[7][8])
基礎データ
校歌
通学区域
愛媛県立今治西高等学校の基本的な通学区域は、愛媛県東予地方(四国中央市、新居浜市、西条市、今治市、越智郡上島町)及び愛媛県松山市の一部(2004年12月31日時点における北条市の区域)である[注釈 1][注釈 2][1]。
周辺
住宅地に囲まれた所に立地しており、学校周辺にはマンションやアパート、一戸建て住宅が多数立地している[要出典]。
アクセス
生徒会活動・部活動など
部活動
(部活動における主要な出典は公式サイト[13])
体育部
- 応援
- 弓道
- 剣道
- サッカー
- 柔道
- 水泳
- ソフトテニス
- 卓球
- ダンス
- テニス
- 登山
- バスケットボール
- バレーボール
- ハンドボール
- ボート
- 野球
- 陸上競技
- 社会体育
- 野球部
- 野球部は、春14回、夏13回の甲子園出場経験があり、2007年夏に春夏通算30勝目(全国で30校目)を挙げた。ベスト4進出は春2回(1995年、1999年)、夏3回(1963年、1973年、1977年)ある。国民体育大会では2度優勝(1981年、2007年)した[14][15]。
- その一方で、2012年夏には、1回戦の対桐光学園戦で、桐光のエース・松井裕樹に22三振を奪われ、夏の1試合あたり歴代最多奪三振記録を作られた(試合は0対7で敗北)。1973年春には、準々決勝の対作新学院戦で、作新のエース・江川卓に20三振を奪われた(試合は0対3で敗北)[16]。
- 初出場は旧制今治中学時代の1918年夏であるが、この年に発生した米騒動の影響により、大会自体が中止となった[17]。
文化部
- 囲碁・将棋
- インターアクト
- 演劇
- 海外研究
- 自然科学部
- 華道
- 郷土芸能
- 吟詠剣詩舞
- コーラス
- 茶道
- 写真
- 手芸
- 食物
- 書道
- 新聞
- 吹奏楽
- 美術
- 文学
- 放送
- 文化芸能(かるた、俳句)
高校関係者と組織
高校関係者一覧
旧制中学
新制高校
学者
財界
政治
行政
スポーツ
マスコミ
芸術・芸能
脚注
注釈
- ^ a b ただし、募集定員の 1⁄20 を超えない範囲内においては、通学区域によることはない。また、通学区域による志願者数が、通学区域によらないことが可能とされた定員数を引いた数に満たないときは、募集定員数からその志願者数を引いた数を限度に通学区域によらないことが可能である(定員の充足や高等学校の所在地の特性等の事情を考慮して特に必要があると愛媛県教育委員会教育長教育長が判断する場合については 3⁄10 )。愛媛県外からの入学志願者については、校長が愛媛県教育委員会教育長の承認を得ることで定員の5 % 以内で入学を許可することが可能となる。(2019年4月1日時点)
- ^ 愛媛県県立高等学校の通学区域に関する規則(昭和38年7月20日教育委員会規則第15号)による。
出典
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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優勝校が複数の場合は都道府県コード順に表記 |
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