広島ガス
広島ガス株式会社(ひろしまガス、英: HIROSHIMA GAS CO.,LTD.[1])は、広島県広島市南区に本社を置く、広島市を中心に広島県海岸部を都市ガスの営業区域とするガス会社である。 概要営業地域は広島市周辺、旧呉瓦斯があった呉市周辺、旧尾道瓦斯があった三原市・尾道市周辺を営業エリアにしている。 社章は、バルブハンドルを模した物である[2]。 ショールームとして、広島市中区南竹屋町に「ガストピアセンター」を、広島市佐伯区海老園二丁目に「ガストピア五日市」を設置している。 また、マツダと共同開発した、ロータリーエンジンを使った、コジェネレーションシステム等も開発している。 さらに、「広島瓦斯電軌学園」として設立された鈴峯女子短期大学の運営スタッフには、かつて広島電鉄と広島ガスからの人材が多くを占めていた。 歴史1909年(明治42年)10月に、広島市材木町97番地(現在の中区中島町)の当時の役員の自宅を登記地に「広島瓦斯株式会社」として設立[3]。翌月、広島市大手町1丁目7番屋敷(現在の中区大手町)に本社を移転[3]。 工場を、現在の本社所在地である広島市皆実村(現在の広島市南区皆実町)に置いた[4]。 1910年に『尾道瓦斯』(1910年創業)と合併[5]。1913年には『呉瓦斯』(1912年創業)と合併した[6]。 設立当初は、大林組傘下の会社で[4]、同様の経緯で設立された会社に「広島電気軌道株式会社」(現在の広島電鉄)がある[7]。翌年以降に吸収合併された「尾道瓦斯株式会社」[8]及び「呉瓦斯株式会社」も大林組関係者が代表を務めていた[9]。大林組社主の大林芳五郎が、1913年(大正元年)の北浜銀行の破綻と、支援のための資金確保のために株式を放出したことにより、鈴木商店関連人物が新たな大株主になり、大林組傘下を外れている[10]。その時に、鈴木商店の支援を受けた[11]、実業家藤田謙一も2.5%の株式を所有する大株主(順位6位)になった[12]。同様の経緯で『広島電気軌道株式会社』の株も鈴木商店が取得している[11]。 『広島電気軌道株式会社』・『広島瓦斯株式会社』の大林組の資本引き上げと、鈴木商店の支援を受けた藤田謙一が両社の社長であったことにより、資本系列が同一だったこと。電車の利用が、3月から11月までが多く12月から1月までが少ない反面、ガスは冬場の利用が多く、収支の補完関係が成立したこと[11]などにより、1917年(大正6年)10月1日に『広島瓦斯電軌株式会社』として合併した[13]。 その後、国の政策により、1942年(昭和17年)4月10日に運輸部門は広島電鉄として再度分離[14]。旧社名の『広島瓦斯』に戻された[15]。1970年(昭和45年)3月に現在の社名になっている[16]。 歴代代表者1代目・2代目は代表取締役会長、3代目以降は代表取締役社長[17]
沿革
営業エリアグループ企業
関連項目CMキャラクター
脚注注釈出典
参考書籍
外部リンク |