小畑美稲
小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末から明治の武士(土佐藩士)、裁判官、政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、正二位、男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。 経歴土佐藩士・小畑美穂の長男として生まれる。奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動を推進。文久3年(1863年)、土佐勤王党の獄により入獄した。 明治維新後に赦免され新政府に出仕。明治2年7月(1869年)、弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法大解部、司法少判事を歴任。 明治5年8月(1872年)、茨城裁判所長に就任。以後、大阪裁判所長、長崎上等裁判所判事、京都裁判所長、大阪上等裁判所長心得、名古屋控訴裁判所長、宮城控訴裁判所長などを務めた。 1884年12月、元老院議官に就任。1890年9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任。同年10月20日、錦鶏間祗候となる[2]。1893年4月、香川県知事に就任し、1895年11月まで務めた。1896年6月5日、男爵を叙爵された[3]。1906年4月1日、勲一等瑞宝章を受章。墓所は青山霊園(1イ-20-19)。 栄典
親族脚注出典参考文献
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