佐藤 正俊(さとう まさとし、1886年(明治19年)9月18日[1] - 1962年(昭和37年)5月3日[2])は、日本の官僚。香川県知事、三重県知事、名古屋市長を歴任した。
生涯
福島県士族佐藤覚之進[* 1]の長男。現在の会津若松市に当たる地域の出身で[2]、会津会会員である[3]。四高[4]を経て東京帝国大学を卒業。文官高等試験に合格し、内務省に入省した。合格者136名には石渡荘太郎や河上丈太郎などがおり、佐藤の席次は29番である[4]。
- 経歴
佐藤の官歴は埼玉県属に始まる。福井県の郡長、山梨県理事官、台湾総督府事務官、関東大震災後に設けられた復興局の事務官、兵庫県学務課長、同県書記官・視学官[5]、長崎県書記官・学務部長を経て、秋田県警察部、長野県警察部、福岡県警察部、神奈川県警察部で県警察部長を歴任。山梨県書記官・内務部長を最後に退官し、満州国に招聘されハルビン特別市公署総務所長を務める。1936年(昭和11年)6月、官選の香川県知事に任命され翌年三重県知事に転じ、1939年(昭和14年)3月まで在任。
太平洋戦争最中の1942年(昭和17年)に名古屋市長に就任。戦前最後の市長となった。1946年(昭和21年)11月に退任し、公職追放となる[6]。追放解除後の1951年(昭和26年)に設立された愛知商工信用組合(現愛知信用金庫)の初代理事長に就任し、1956年(昭和31年)まで在任した[7]。1962年5月3日、名古屋市瑞穂区の自宅にて脳軟化症により死去[2]。
- 知事・市長
佐藤は第一次近衛内閣の下で知事に起用された。香川県知事時代に盧溝橋事件が勃発し、善通寺所在の第11師団が出征したためその対応にあたり、三重県知事としては県立結核療養所建設、公娼廃止などを行った[8]。戦中に名古屋市長に就任したが、市は名古屋大空襲で大きな被害を受け、終戦とともに復興を目指す。佐藤は田淵寿郎を招き、技監職を設け復興計画責任者に就任させた[9]。佐藤、田淵は1945年12月に「大中京再建の構想」をまとめるが、この構想は将来の200万人都市への発展に備え、道路幅8m以上、市内墓地の平和公園への移転、住宅地確保、100メートル道路の建設などを目指し、戦災にあっていない地域も含めた大掛かりなものであった。佐藤は翌年退任するが、田淵は助役として引き続き復興を指導し、田淵は「近代都市名古屋の生みの親」とされる[10]。
脚注
- 注釈
- ^ 祖父の佐藤貞蔵は戊辰戦争で討ち死した会津藩藩士(山川健次郎編『校訂 戊辰殉難名簿』)。覚之進は警察官となり喜多方署に勤務中、栃木県から逃亡してきた殺人犯を捕縛したが、その際の負傷で身体の一部が不自由となった(吉原直次郎『日本警察彰功録(中巻)』「紀佐藤覚之進事」)。
- 出典
- ^ 永井誠吉著、サンケイ新聞編『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞、1976年、199頁。
- ^ a b c 『朝日新聞』1962年5月4日朝刊、11面の訃報より
- ^ 『会津会会員名簿』(大正9年12月)
- ^ a b 『戦前日本官僚制の制度・組織・人事』487頁
- ^ 『官報』第3925号、大正14年9月22日。
- ^ 公職追放の該当事項は「翼賛名古屋市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、542頁。NDLJP:1276156。 )
- ^ “愛知信用金庫 沿革”. 2012年9月23日閲覧。
- ^ 『日本知事人名事典 (第2巻)』620頁、903頁
- ^ “CE / 建設業界:社団法人日本土木工業協会 2006年3月号”. 2012年9月23日閲覧。
- ^ “名古屋都市センター まちづくり来ぶらり 第45号”. 2012年9月23日閲覧。
参考文献
- 歴代知事編纂会編『日本知事人名事典 (第2巻)』日本図書センター、2012年。
- 秦郁彦『戦前日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
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官選 |
第一次香川県 (-1873) |
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第二次香川県 (1875-1876) |
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第三次香川県 (1888-) |
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公選 | |
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カテゴリ |
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1963年2月15日編入 |
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官選 |
区長 | |
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市長 |
- 中村修1889.12.17-1890.9.11
- 志水忠平1890.11.6-1894.2.12
- 柳本直太郎1894.2.28-1897.6.26
- 志水直1897.7.19-1901.12.2
- 青山朗1901.12.27-1906.4.12
- 加藤重三郎1906.6.27-1911.7.3
- 阪本釤之助1911.7.4-1917.1.23
- 佐藤孝三郎1917.7.3-1921.7.2
- 大喜多寅之助1921.7.2-1922.2.2
- 川崎卓吉1922.4.1-1924.6.11
- 田阪千助1924.9.25-1927.8.1
- 大岩勇夫1927.8.1-1938.12.5
- 縣忍1939.1.10-1942.1.6
- 佐藤正俊1942.2.21-1946.11.1
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公選 |
- 塚本三1947.2.21-1952.8.25
- 小林橘川1952.9.28-1961.3.16
- 杉戸清1961.4.28-1973.4.27
- 本山政雄1973.4.28-1985.4.27
- 西尾武喜1985.4.28-1997.4.27
- 松原武久1997.4.28-2009.4.27
- 河村たかし2009.4.28-2024.10.15
- 広沢一郎2024.11.25-
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