宕昌国宕昌(とうしょう)は、宕昌羌ともいい、中国の五胡十六国時代から南北朝時代にかけて羌族が建てた政権。都城は宕昌城(現在の甘粛省隴南市宕昌県の西)。首長の姓は「梁」といった。 梁勤が宕昌王を自称したのを初代とする。梁勤とその後継者たちは、ときの南北朝の政権に朝貢して冊封を受けている。 564年、宕昌王の梁弥定がしばしば北周の領域を侵犯したので、北周の武帝の怒りを買った。武帝が大将軍田弘に命じて宕昌国を討たせ、その地に宕州を立てると、宕昌はここに滅亡した。 宕昌の君主
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宕昌国宕昌(とうしょう)は、宕昌羌ともいい、中国の五胡十六国時代から南北朝時代にかけて羌族が建てた政権。都城は宕昌城(現在の甘粛省隴南市宕昌県の西)。首長の姓は「梁」といった。 梁勤が宕昌王を自称したのを初代とする。梁勤とその後継者たちは、ときの南北朝の政権に朝貢して冊封を受けている。 564年、宕昌王の梁弥定がしばしば北周の領域を侵犯したので、北周の武帝の怒りを買った。武帝が大将軍田弘に命じて宕昌国を討たせ、その地に宕州を立てると、宕昌はここに滅亡した。 宕昌の君主
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