天地開闢 (日本神話)天地開闢(てんちかいびゃく)とは天地に代表される世界が初めて生まれたときのことを示す。 概要狭義には『日本書紀』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」をいうが、この記事では、広義の日本神話の天地開闢・国土創造について記す。 あらすじ『古事記』一般に、日本神話の天地開闢といえば、近代以降は『古事記』冒頭の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)が想起される。ただし、ここには天地がいかに創造されたかの記載はない。なお、神話研究における「天地開闢」は次節の『日本書紀』参照。 世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた[1]。 続いて、二柱の神が生まれた[1]。
この五柱の神は性別はなく、独身のまま子どもを生まず身を隠してしまい、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神(ことあまつかみ)と呼ぶ[2]。 次に、二柱の神が生まれた[3]。 国之常立神と豊雲野神も性別はなく[3]、これ以降、神話には登場しない。 引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神である[4]。
以上の七組十二柱を総称して神世七代(かみのよななよ)という。 『日本書紀』『日本書紀』における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったと語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。 根源神たちの登場本文によれば、太古、天地は分かれておらず、互いに混ざり合って混沌としていた。しかし、その混沌の中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、神が生まれる。 天地の中に葦の芽のようなものが生成され、神となる。 これらの神々は純粋に男だった。 第一の一書によれば、天地に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通り。なお、段落を下げて箇条書きされるのは上の神の別名である。
第二の一書によれば、天地に葦の芽のようなものが生成された。これが神となったとされる。すなわち、本書と同じであるが、神々の名称が異なる。 第三の一書でも生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿だったと描写される。 第四の一書によれば、生まれた神々の名は下の通り。この異伝は『古事記』の記述に類似している。 これらの二柱の神々の次に生まれたのが下の三柱の神々である。 第五の一書によれば、天地に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容だが、一柱の神しか登場しない。
第六の一書も本書とほぼ同様に葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。 男女一対神たちの登場渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれる。これらの神々の血縁関係は本書では記載がないが、一書の中に異伝として記される。 本文によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神である。なお、段落を下げて箇条書きされるのは上の神の別名である。
第一の一書では伊弉諾尊、伊弉冉尊は青橿城根尊の子とされる。 第二の一書では神々の系図がよりはっきりする。
天鏡尊、天万尊は宋史日本伝の引く年代記の他には見えず、また国常立尊・天鏡尊・天万尊・沫蕩尊・伊弉諾尊の並びは当年代記の一部に一致する[5]。 本文によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に以上の四組八柱の神々を加えて神世七代という。 第一の一書によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
脚注参考文献
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