塚本善隆
塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日[1] - 1980年1月30日[1])は、浄土宗僧侶・仏教史学者。中国仏教研究の世界的権威[1][2]。京都大学名誉教授。元日本学士院会員。 来歴1898年2月8日、愛知県海部郡七宝村(現 あま市)生まれ[1]。 1918年、佛教専門学校(現:佛教大学)卒業[1][2]。1920年、宗教大学(現:大正大学)研究科卒業[2]。1923年、京都帝国大学文学部哲学科インド哲学選科修了[2]、1926年、京都帝国大学文学部史学科東洋史選科修了[1][2]。1928年 北京大学に留学[2]。1929年に帰国し、東方文化学院京都研究所研究員[1][2]。1948年2月、文学博士(京都大学)(学位論文『北魏仏教史の研究』)[2]。 1949年、京都大学文学部教授[1]。1955年4月、東方文化学院京都研究所長(- 1959年9月)[2]。1961年、同大学を定年退官[2]。1961年5月、京都国立博物館館長(- 1972年4月)に就任[2]。1972年11月、勲二等瑞宝章受勲[1][2]。1973年、華頂短期大学学長に就任[1][2]。1974年、京都大学名誉教授[1][2]。 人物京都帝国大学専科では、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡より、東洋史学を桑原隲蔵、羽田亨らより受け、仏教学・史学を併修する独自の学風であった。そのほか、九州大学、神戸大学、佛教大学、名古屋大学、大正大学大学院、東北大学講師、三康文化研究所研究指導員などを歴任した。 1942年10月から1974年10月まで、嵯峨清凉寺住職を務めた[2]。在職中の1954年(昭和29年)、本尊の釈迦如来像の胎内物調査を行い、五臓六腑の模造品をはじめとした多数の遺物が発見されて注目される[2]。 主な著書・編著
論文回想脚注注釈出典
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