城隍廟
城隍廟(じょうこうびょう)は、城隍神を祭祀する為の廟所である。都市の外周に作られる「城」(城壁)と「隍」(堀)に対する信仰に始まる[1]。中国文化では城隍神は都市の守護神で、その前身は水庸神である。ただしあまり神格は高くなく、『西遊記』などでは使い走りのような仕事をさせられていることが多い。 歴史城壁と堀という意味での「城隍」という言葉は、後漢の班固の「西都賦序」に見られるのが最初といわれるが、祭祀についての記述はない。「城隍」は「水庸」(堀と城)とも称し、農業にまつわる8種の祭祀「八蜡」の一つとして『礼記・郊特牲』に現れるのが起源という説が有力である。 明確な記録としては、唐代に著された『北斉書・慕容儼伝』に「城隍神」を祭る祠があると記載されているのが最初である。唐代には他にも張説の「祭城隍文」当時の祭祀について書かれた文章が伝わっており、すでに一般化していたことがわかる。 宋代になると、国家行事のひとつとして城隍神を祭祀する機運が生まれ、城隍夫人も祭られるようになった。明代には太祖朱元璋の信仰もあり、祭祀が制度化され都市毎に城隍廟が建てられるようになった。清朝でも明代の祭祀を受け継ぎ、国家行事のひとつとして地方官吏が毎月1日と15日に参拝することなどを『欽定大清会典事例』で規定し、祭祀が続けられた。 台湾では、日本統治時代に皇民化運動で天照大神や天皇崇拝を奨励されたため、信仰の制限が行われた。中国大陸では、文化大革命によってあらゆる信仰が制限された。今日では民間信仰として復活している。 著名な城隍廟中国大陸
台湾
香港マカオシンガポール脚注
参考文献
関連項目
外部リンク |