土田尚史
土田 尚史(つちだ ひさし、1967年2月1日 - )は、岡山県出身の元サッカー選手。Jリーグの浦和レッドダイヤモンズに所属していた。ポジションはゴールキーパー。2000年限りで現役引退後、コーチ・GKコーチを歴任。2019年より浦和レッズのクラブスタッフ、2020年 - 2023年にはSD(スポーツダイレクター)を務めた。 来歴客席まではっきり聞こえる大声で有名で、気迫あふれるプレーでサポーターに愛されていた。1996年のキャンプで目を負傷して以来、多くの故障に悩まされたが同僚の田北雄気とは激しくポジションを争い続けた。 1988年のアジアカップに日本代表Bとして選ばれ、カタール戦に出場[2]、この試合は国際Aマッチ出場として記録されていたが、1996年、日本サッカー協会の日本代表公式試合の見直しによりAマッチの出場記録として認められなくなった。現在はAマッチの出場記録が抹消されたものの、1989年には(Bチームではなく)日本代表の南米遠征に参加している[2]。 応援歌には「ハイ・ホー」が原曲として使われていた(2017年シーズンにレッズに在籍したラファエル・シルバの応援歌も「ハイ・ホー」が原曲である)。 引退後、2001年に浦和のコーチに就任。2002年~2018年までGKコーチとして浦和の躍進を支えた。2012年、浦和レッズOB会会長に就任[3]。 2019年クラブスタッフ社長付(地域貢献担当)、2020年 - 2023年にSD(スポーツダイレクター)[4][5]。 人物・エピソードレッズの後輩である岡野雅行に「野人」というニックネームを付けたのは土田である[6]。 1995年3月29日のJリーグでは、名古屋相手にPK戦までもつれ込む戦いとなり、名古屋5人目の浅野哲也のシュートを止めた時、「勝ったと思った。でも、振り向くとだれもこっちに来ない。カウントを間違えたんです」と語ったことがある[7]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦 代表歴
指導歴
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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