向小金(むかいこがね)は、千葉県流山市の町名。現行行政地名は向小金一丁目から四丁目。郵便番号は270-0143[2]。
地理
流山市の東部に位置する。同市最東端の町であり、全域が住宅街となっている。また、地域内の標高24.9mが市内最高の標高となっている[4]。
三丁目に市立向小金小学校がある。
東は柏市南柏・南柏中央・今谷上町・今谷南町・東中新宿、西は前ケ崎、南は柏市中新宿、光ケ丘、北は松ケ丘と接している。
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、向小金1丁目237番24の地点で12万7000円/m2となっている。[5]
歴史
地名の由来
従前の地名である「向小金新田」の新田を取ったもの。
沿革
- 1869年(明治2年) 葛飾県葛飾郡向小金新田となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡向小金新田となる。
- 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡向小金新田となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 東葛飾郡市野谷村、思井村、前平井村、後平井村、芝崎村、長崎村、中村、名都借村、古間木村、前ヶ崎村、野々下村、大畔新田、駒木村、十太夫新田、駒木新田、青田新田、初石新田と合併し、東葛飾郡八木村大字向小金新田となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 八木村が流山町、新川村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字向小金新田となる。
- 1952年(昭和27年)1月1日 - 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字向小金新田となる。
- 1967年(昭和42年)1月1日 - 市制施行により、流山市大字向小金新田となる。
- 1989年(平成元年)5月29日 - 大字向小金新田の全域、大字名都借、松ケ丘一・三丁目の各一部より向小金一丁目~四丁目を新設する。
町名の変遷
実施後
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実施年月日
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実施前(各町名ともその一部)
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向小金一丁目
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1989年5月29日
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大字名都借字河村台、大字向小金新田字前畑・字西堀込・字田島・字内ノ東割、松ケ丘一丁目・松ケ丘三丁目
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向小金二丁目
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大字向小金新田字セガン・字清徳・字内堀込・字前畑・字西堀込・字田島・字内野東割
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向小金三丁目
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大字向小金新田字セガン・字内堀込・字四人堀込・字六十面
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向小金四丁目
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大字向小金新田字向原
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小字
向小金一丁目~四丁目は地番整理が行われておらず、前身の大字向小金新田から引き継いだものを中心に12の小字が存在する。ここでは、北から順に列挙する。
- 田島(北部は1961年(昭和36年)に松ケ丘一丁目に編入)
- 河村(全域が1961年(昭和36年)に松ケ丘三丁目に編入された後、1989年(平成元年)に向小金一丁目に再編入)
- 河村台(1989年(平成元年)に大字名都借より一部を編入)
- 西堀込
- 前畑
- 内野東割
- 清徳
- 内堀込
- セガン
- 六十面
- 四入堀込
- 向原
消滅した小字
- 北ノ大割(1961年(昭和36年)に松ケ丘四丁目に編入)
- 丹後(1961年(昭和36年)に松ケ丘二丁目に編入)
- 大尻(1961年(昭和36年)に松ケ丘一丁目に編入)
世帯数と人口
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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向小金一丁目
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1,139世帯
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2,436人
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向小金二丁目
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1,215世帯
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2,828人
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向小金三丁目
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1,446世帯
|
3,279人
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向小金四丁目
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304世帯
|
791人
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計
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4,104世帯
|
9,334人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
施設
脚注
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北部地域 | |
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中部地域 | |
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南部地域 | |
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東部地域 | |
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カテゴリ |