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司馬尚 (戦国)

司馬 尚(しば しょう、生没年不詳)は、中国戦国時代武将司馬卬の父。

生涯

紀元前233年王翦を大将として趙を攻めてきたので、趙幽繆王李牧と司馬尚を将として対抗させた。趙は秦軍を破り(肥下の戦い番吾の戦い)、これを退けた[1]

紀元前229年、秦が王翦を大将、楊端和羌瘣を副将として大軍を興して、趙へと攻め込んできた。攻めあぐねた王翦は趙の佞臣郭開を買収して反間計を施し、幽繆王に李牧と司馬尚が反逆を企んでいると讒訴させた。幽繆王は李牧を解任し、代わりに趙葱と斉将・顔聚を置いた。李牧はこれに対し不服とし従わなかったため、李牧は密かに処刑され、司馬尚は更迭された。その後、約3ヵ月で趙は滅びた[2]

脚注

  1. ^ 戦国策/卷21》:秦使王翦攻趙,趙使李牧、司馬尚御之。李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮。
  2. ^ 《戦国策/卷21》:王翦惡之,乃多與趙王寵臣郭開等金,使為反間,曰:「李牧、司馬尚欲與秦反趙,以多取 封於秦。」趙王疑之,使趙葱及顔聚代將,斬李牧,廢司馬尚。 後三月,王翦因急撃,大破趙,殺趙軍,虜趙王遷及其將顔聚,遂滅趙。

参考

赵世家”. 2021年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月17日閲覧。

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