千紘 れいか(ちひろ れいか、旧姓での本名及び旧芸名:大平敦子、1973年9月30日 - )は東京都国分寺市生まれ、宝塚歌劇団・劇団四季出身の女優。
身長162.5cm、血液型はA型。愛称は本名より“あつ”、“あっちゃん”。
来歴・人物
1989年、明星高等学校1年在学中に友人に連れられ東京宝塚劇場公演『ムッシュ・ド・パリ』を観劇、それをきっかけにタカラジェンヌを目指す[1]。翌1990年、宝塚音楽学校に入学[2]、同校卒業後の1992年に宝塚歌劇団に入団(第78期生)。入団時の成績は40人中2番。『この恋は雲の涯まで』で初舞台を踏む。当初は男役であった。
1993年、阪急電鉄の初詣ポスターのモデルを務める。同年1月9日、花組に配属。その年には娘役に転向、バウホール公演や新人公演で度々主役を務め注目の存在となった。1994年度の「すみれ賞」受賞。阪急百貨店の「PINK HOUSE」ポスターモデルを務めたこともある。
1996年末、月組に組替え。風花舞に次ぐ2番手娘役として歌に芝居に活躍。1998年の『黒い瞳』で演じたエカテリーナII世役は高い評価を受け、宝塚時代の代表作となった。
2000年4月3日に宝塚歌劇団を退団し劇団四季に入団。同年6月、『ライオンキング』のナラ役で四季初舞台[5]。同時に芸名を本名の大平敦子(おおひら あつこ)に改める。キャリアを重ね四季の中堅女優として活躍したが、2007年5月の『オンディーヌ』の舞台を最後に退団。
2008年12月より旧芸名・千紘れいかで芸能活動を再開した。
その他、歌唱指導や、大平敦子名でヨガや太極拳・瞑想などをベースにしたエクササイズTaoZenのインストラクターとしての活動も行う[6]。
既婚[7]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台出演
初舞台・組回り
花組時代
- 『メランコリック・ジゴロ -あぶない相続人-』 『ラ・ノーバ!』 1993年 (宝塚大劇場公演は全休演、東京公演のみ出演)
- 『ベイ・シティ・ブルース』(カジノ場面のカゲソロ、新人公演:パティ) 『イッツ・ア・ラブ・ストーリー』 1993年
- 『サラン・愛 ~ムグンファの花に包まれて~』(金淑英) 1994年バウホール
- 『ブラック・ジャック 危険な賭け』(東京公演:ローラ、東京新人公演:ヨランダ) 『火の鳥』 1994年
- 『アロー・アロー・キャメロット!』 1994年バウホール
- 『冬の嵐、ペテルブルグに死す』(新人公演:リーザ) 『ハイパー・ステージ!』 1994年
- 『哀しみのコルドバ』(新人公演:エバ) 『メガ・ヴィジョン』 1995年
- 『LAST DANCE』 1995年バウホール
- 『エデンの東』(セルマ) 『ダンディズム!』 1995年
- 『チャンピオン! ~甦る伝説~』(マヌエラ・リベラ) 1995年バウホール
- 『花は花なり』 『ハイペリオン』 1996年
- 『Nice GUY!』 1996年真矢みきディナーショー
- 『ハウ・トゥー・サクシード ~努力しないで出世する方法~』(ミス・クラムホルツ、新人公演:ヘディ・ラルー) 1996年
月組時代
宝塚歌劇団退団後の主な舞台出演
劇団四季時代
劇団四季退団後
脚注
- ^ “「みにこみ国分寺」1997年10月第6号 INTERVIEW”. みにこみ国分寺インターネット版. 2016年11月14日閲覧。
- ^ “私と明星学苑”. 学校法人明星学苑公式HP. 2016年5月23日閲覧。
- ^ スポニチ宝塚歌劇支局「元月組の娘役スター・千紘れいか、劇団四季「ライオンキング」で再出発」 - ウェイバックマシン(2009年5月9日アーカイブ分) 2000年7月30日スポニチ掲載、2018年6月6日アーカイブ閲覧
- ^ 講師プロフィール - 銀座おとな塾 at Archive.is (archived 2013-05-01)
- ^ 千紘れいか 結婚! スポニチアネックス 2013年12月3日掲載、2013年12月9日閲覧
参考文献
外部リンク
阪急・阪神電鉄 歴代初詣ポスターモデル |
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注:2006年以降、阪急・阪神経営統合により阪急電鉄・阪神電鉄双方に掲載 出典:ノート |