北東部地域 (ブラジル)
北東部地域 (ポルトガル語: Região Nordeste do Brasil)は、ブラジル北東部の地域。現地ブラジルのブラジルポルトガル語ではしばしば単に「Nordeste ノルデスチ」と呼ばれる。 2016年の人口は5691万5926人[1]で、全国の27.6%を占め、5地域中2位。面積は155万8196km2で、全国の18.3%を占め、5地域中3位。アラゴアス州、セアラー州、セルジペ州、バイーア州、パライバ州、ピアウイ州、ペルナンブーコ州、マラニョン州、リオグランデ・ド・ノルテ州の9州から成る。最大都市はサルヴァドール。ブラジルで最初にポルトガル人や他のヨーロッパ人に征服された地域である。独特の方言や伝承を含む文化、料理、音楽、文学等を持つ。住民の58%が一日2$以下で生活している[2]。 隣接地域地理・気候南部から東部に向かってサン・フランシスコ川が流れる。全域が熱帯に含まれ、カーティンガや大西洋岸森林、カンポ・セハードが広がる。気候は暑いステップ気候で、カーティンガでは乾燥、セハードでは中程度で、大西洋岸では湿っている。 Meio-Norte(中北部)中北部は北東部地域の北西部を占める。アマゾン熱帯雨林と、ステップ気候で暑く乾燥したセルトンを繋ぐ。 が該当する。 セルトン(後背地)ポルトガル語のsertão(ポルトガル語発音: [sehˈtɐ̃w̃])(セルトン)の第一の意味は、アジアや南米のバックカントリーやアウトバックを指す。ブラジルでは、16世紀初頭にポルトガル人が初めて南米に到達した海岸の後背地を指す。 地理的には、ブラジル高地の一部を成す低い高地を指す。セルトンの殆どが海抜200〜500mで、東の最も標高の高いボルボレマ高原で、半乾燥のアグレステに繋がる。西にはイビアパパ山が聳える。 が該当する。 セルトンは赤道に近い為に気温の変動が少なく、典型的な熱帯である。特に西部は極端に暑い。ブラジルの他地域に比べて降水量がとても少ない。南大西洋の熱帯収束帯がほぼ通年に渡って覆う北部は、ほぼ常に乾燥している。 セルトンの殆どで年間降水量は500〜800mmだが、北の沿岸部のフォルタレザでは1300mmに達する。雨季は西部で1〜4月、東部で3〜6月だが、変動が激しい為に壊滅的な旱魃が多く発生する。 アグレステ西のセルトンと東の森林地域に挟まれる。貿易風が絶壁で止まる為、内陸に行く程降水量は減少する。熱帯雨林を保つ程の雨量は無く、降水量も不安定である。今日では灌漑が使用した牧畜が盛んである。北から順に が該当する。 森林区域(ゾーナ・ダ・マッタ)東部の大西洋沿岸地域に広がり、西はアグレステである。高湿で、大都市が多い。森林破壊によって森が縮小している。19世紀後半までの長期間、この地域のサトウキビ栽培がブラジルの経済を支えていた。その後はコーヒー栽培が盛んになった。サトウキビは大規模農園で栽培され、農園主は大きな政治的影響力を持つ。 主要都市人口は2016年7月1日の値[1]。
地域が抱える問題保護区歴史植民地になる以前は、トゥピ・グアラニー語族の言語を話す先住民が暮らしていた。 1500年4月22日、ペドロ・アルヴァレス・カブラル率いる約1500人のポルトガル人が、現在のバイーア州のポルト・セグーロにヨーロッパ人として初めて上陸した。北東部地域の沿岸部はブラジルで最初に貿易が始まった。ヨーロッパ人はブラジルボクを伐採し、ヴァイオリンの弓に加工した。最初の内、先住民は香辛料と引き換えに伐採を手伝った。しかし、植民地化と商業が発達すると、侵略者は先住民から土地を奪い、奴隷として農場で働かせるようになった。先住民は抵抗したが、戦闘によって劇的に人口を減少させていった。労働力減少を受けて、ポルトガル人はアフリカの黒人を奴隷として導入した。トルデシリャス条約に反対するフランス王国等は、ブラジルボクを盗む為に沿岸部を何度も攻撃した。 1552年、ブラジルで初めてカトリックの司教区がサルヴァドールに置かれた。 1555年〜1567年、フランスはフランス領南極(現在のリオ・デ・ジャネイロ)を支配した。 17世紀には奴隷の抵抗運動が激化し、キロンボ(逃亡奴隷とその子孫による集落)を形成した。 1604年、ネーデルラント連邦共和国はバイーア州を襲撃し、一時的にサルヴァドールを占領した。 1605年、アラゴアス州に最大且つ最も有名なキロンボ・ドス・パルマーレスが建設された。パルマーレスは最盛期には独立した共和国で、3万人以上のアフリカ人が所属していた。 1612年〜1614年、フランスはフランス領赤道(現在のサン・ルイス)を支配した。 1695年、パルマーレスの戦いでキロンボ・ドス・パルマーレスは滅びた。 指導者のズンビ・ドス・パルマーレスは殺害され、遺体はレシフェで晒された。 1763年、首都がサルヴァドールからリオ・デ・ジャネイロに移った。 ポルトガルからの独立運動は北東部地域で始まった。 1877年に大旱魃が発生し、セルトン住民から多くの盗賊が生まれた。 1922年〜1930年、ギャングが最盛期を迎えた。彼らは農家や政治家、小作人や僧侶等から援助を受けた。 1938年、ギャングへの掃討作戦が始まり、1940年にはかなり弱体化が進んだ。 経済農業観光
その他教育
交通国際空港
海港宗教他地域に比べてカトリックの勢力が強い。 文化祭り踊り音楽
料理著名人
脚注
関連項目 |