六ツ川
六ツ川(むつかわ)は、神奈川県横浜市南区の町名。現行行政地名は六ツ川一丁目から六ツ川四丁目。住居表示未実施区域[6]。 地理横浜市南区西部に位置し、西端は保土ケ谷区・戸塚区・港南区に接する。一丁目から三丁目がV字形の形状をしており、戸塚区に食い込むように四丁目が西に張り出す。正式な表記は六ツ川だが[7]、六つ川[8]や六ッ川[9]の表記も混在する。 東西に神奈川県道218号弥生台桜木町線(平戸桜木道路)、南北に横浜横須賀道路が通り六ッ川料金所があるが、町内にインターチェンジは設けられていない。二丁目西部には神奈川県立こども医療センターがあり、隣接する港南区芹が谷にかけては医療機関が集積する地区となっている。三丁目には横浜パークタウンや六ッ川台団地など集合住宅が立ち並ぶ。また狩場町との隣接地には横浜市こども植物園がある。 面積面積は以下の通りである[2]。
地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、六ツ川2丁目3番153の地点で16万7000円/m2となっている[10]。 沿革古くは武蔵国久良岐郡引越村で、1889年(明治22年)4月1日に周辺の村と合併、大岡川村大字引越となる。1927年(昭和2年)4月1日に横浜市に編入、横浜市六ツ川町となる。六ツ川の地名は、古い広域地名の「多々久郷」が弘明寺・中里・別所・最戸・久保・引越の六ヶ村に分かれたこと、市町村制施行時に大岡川村となったことに由来する。また、鮫ヶ谷・久保谷・マンヶ谷・九田谷・荒戸谷・御堂谷の谷側に由来するとの別説もある[11]。1927年(昭和2年)10月1日に区制施行、中区となったのち、1943年(昭和18年)に新設した南区に編入された。1967年(昭和42年)1月15日に六ツ川町の町名が廃止され、六ツ川一丁目から三丁目を新設。次いで1969年(昭和44年)10月1日に四丁目が新設された[7]。1975年(昭和50年)7月28日に六ツ川一丁目の一部が中里三丁目、中里四丁目に編入されている[12]。 なお、追加で新設された四丁目は上記の六ツ川とは本来別個の地域で、古くは相模国鎌倉郡永谷村の一部であった。1889年(明治22年)4月1日に上野庭村、下野庭村および平戸村飛地と合併、永野村の一部となる[11]。1936年(昭和11年)10月1日に横浜市に編入、中区の一部となり、下永谷町となる。1943年(昭和18年)12月1日に分区により南区に編入、1969年(昭和44年)10月1日に下永谷町のうち、北端で六ツ川三丁目に隣接した地域(字山谷)を六ツ川四丁目とした(下永谷町の他の地域は、同日分区により港南区に編入)。 町名の変遷
世帯数と人口2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[19]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
施設教育機関
公共施設
商業施設・金融機関その他
その他女優、歌手の斉藤由貴[要出典]、マヂカルラブリー野田クリスタル[22]の出身地である。 日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[24]。
脚注
参考資料
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