伊賀山 正光(いがやま まさみつ、1905年8月25日 - 2001年10月29日)は、日本の映画監督である[1][2][3][4][5]。本名・旧名伊賀山 正徳(いがやま まさのり)[3][5]。
人物・来歴
1905年(明治38年)8月25日、秋田県秋田市保戸野表鉄砲町 (現在の同市保戸野鉄砲町)に生まれる[3][5]。
旧制・秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業、東京に移り、明治大学に入学する[5]。日本大学法文学部美学科(現在の日本大学藝術学部)に移籍し、在学中の1925年(大正14年)、国際活映巣鴨撮影所が製作した内田吐夢監督の『義血』で助監督を務めている[2][5]。同作の撮影技師は円谷英二であり、同作は同年2月6日に公開されている[2]。1927年(昭和2年)、同学の卒業と同時に、タカマツ・アズマプロダクション吾嬬撮影所に助監督として入社したが、同社は同年後半に活動を停止しており、翌1928年(昭和3年)には、京都の勝見庸太郎プロダクションに移籍した[5]。1929年(昭和4年)1月10日に公開された勝見庸太郎監督・主演の映画『血の船』で、脚本家としてクレジットされている[2]。
1930年(昭和5年)早々に勝見プロは活動を停止しており、同年、内田吐夢の紹介で日活太秦撮影所に移籍する[2][5]。日活では、内田のほか村田実、阿部豊、田坂具隆、渡辺邦男らに師事、同年後半から、1934年(昭和9年)に佃血秋オリジナル脚本を得て『野の光』で監督として一本立ちするまで、伊奈精一の専属助監督を務めた[2][5]。同年、現代劇部の移転にともない、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に異動する[2][5]。1942年(昭和17年)1月27日、日活の製作部門が他社と統合されて大日本映画製作(大映)が発足すると、そのまま日活多摩川撮影所、改め「大映東京第二撮影所」に勤務する[2][5]。1945年(昭和20年)1月、同社を離れ、同年4月には朝日映画社に入社、海軍省恤兵映画製作班員となる[5]。
第二次世界大戦の終戦後、大映東京撮影所に復帰して企画者になり、1947年(昭和22年)2月4日には、伊賀山がプロデュースした西村元男の監督デビュー作『花嫁の正体』が公開される[2][5]。1949年(昭和24年)2月7日に公開された吉村廉監督の『検事と女看守』に企画者としてクレジットされたのを最後に、今村貞夫率いるラジオ映画に製作部長として迎えられ、自らも『海魔陸を行く』を監督、翌1950年(昭和25年)1月17日、東京映画配給(現在の東映)が配給して同作は公開された[2][5]。翌1951年(昭和26年)には、篠勝三率いる新映画で、太泉映画のスタジオ(現在の東映東京撮影所)を使用して、折原哲子を主演に『湯の町情話』および『紅涙草』を監督し、いずれも大映が配給して、同年に公開されている[2]。同年に設立された東映に、翌1952年(昭和27年)に監督契約を結び、ひきつづき名を改めた東映東京撮影所で、ひきつづき折原を主役に『母の罪』を監督している[2][5]。
1957年(昭和32年)1月29日に公開された『若獅子大名』から、それまで本名を名乗っていたのを「伊賀山 正光」と改名する[2]。1963年(昭和38年)6月2日に公開された畠山みどりの主演映画『恋は神代の昔から』を最後に、劇場用映画を離れた[2][5]。
伊賀山が最初にテレビ映画に取り組んだのは、1962年(昭和37年)3月7日に放映された『特別機動捜査隊』の第20話『罠』であった[6]。以降、1982年(昭和57年)に放映された『文吾捕物帳』(製作三船プロダクション)の第23話まで、テレビ映画一筋の職人監督として働いた[6]。
2001年(平成13年)10月29日、死去した。満96歳没。
フィルモグラフィ
劇場用映画
- 正徳
- 『義血』 : 監督内田吐夢、製作国際活映巣鴨撮影所、1925年2月6日公開 - 助監督
- 『血の船』 : 監督・主演勝見庸太郎、製作勝見庸太郎プロダクション、1929年1月10日公開 - 脚本
- 『野の光』 : 製作日活太秦撮影所、1934年5月3日公開
- 『美しき吉岡先生』 : 製作日活多摩川撮影所、1934年10月4日公開
- 『恋はバスに乗って』 : 製作日活多摩川撮影所、1934年公開
- 『少年靴屋』 : 製作日活、1935年公開
- 『僕の東京地図』 : 製作日活多摩川撮影所、1936年9月23日公開
- 『花嫁べからず読本』 : 製作日活多摩川撮影所、1936年12月3日公開
- 『ハリキレ日活』 : 製作日活多摩川撮影所、1936年12月31日公開
- 『ジャズ忠臣蔵』 : 製作日活多摩川撮影所、1937年4月15日公開
- 『悦ちゃんの涙』 : 製作日活多摩川撮影所、1937年7月29日公開
- 『報告驀進』 : 製作日活多摩川撮影所、1937年8月12日公開
- 『警官挺身隊』 : 製作日活多摩川撮影所、1937年12月1日公開
- 『敵前渡河噫!友田伍長』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年2月17日公開
- 『少年突撃隊』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年3月24日公開
- 『悦ちゃん部隊』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年5月26日公開
- 『悦ちゃん万才』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年7月31日公開
- 『青春の流れ』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年10月6日公開
- 『新生活設計図』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年11月10日公開
- 『祖国の花嫁』 : 製作日活多摩川撮影所、1938年12月15日公開
- 『遅咲きの花』 : 製作日活多摩川撮影所、1939年2月22日公開
- 『日曜日の戯れ』 : 製作日活多摩川撮影所、1939年4月27日公開
- 『女性の力』 : 製作日活多摩川撮影所、1939年6月15日公開
- 『押切り混線記』 : 製作日活多摩川撮影所、1939年7月20日公開
- 『今日の船出』 : 製作日活多摩川撮影所、1939年12月5日公開
- 『突撃はこれからだ』 : 製作日活多摩川撮影所、1940年2月15日公開
- 『悲曲「母」』 : 製作日活多摩川撮影所、1940年6月27日公開
- 『鉄の愛情』 : 製作日活多摩川撮影所、1940年10月31日公開
- 『妻の友情』 : 製作日活多摩川撮影所、1940年公開
- 『百万円の人生』 : 製作日活多摩川撮影所、1941年1月7日公開
- 『潜水艦1号』 : 製作日活多摩川撮影所、1941年5月23日公開
- 『母なき家の母』 : 製作日活多摩川撮影所、1941年7月24日公開
- 『海の母』 : 製作日活多摩川撮影所、1942年2月7日公開
- 『虹の道』 : 製作大映第二撮影所、1942年5月21日公開
- 『海ゆかば』 : 製作大映第二撮影所、1943年5月27日公開
- 『海の虎』 : 製作大映、1945年2月8日公開
- 『海を呼ぶ声』 : 製作大映、1945年10月25日公開
- 正光
テレビ映画
- 『特別機動捜査隊』 : 製作NET/東映テレビ・プロダクション、1961年10月11日 - 1977年3月30日放映
- 『鉄道公安36号』 : 製作NET/東映、1963年6月5日 - 1967年4月2日放映
- 『孤独の賭け』 : 製作NET/東映、1963年10月4日 - 1964年3月27日放映
- 『日本剣客伝』 : 製作NET/東映、1968年4月3日 - 同年12月25日放映
- 『プレイガール』 : 製作東京12チャンネル/東映、1969年4月7日 - 1976年3月29日放映
- 『剣豪』 : 製作NET/東映、1970年1月5日 - 同年3月30日放映
- 『非情のライセンス』 : 製作NET/東映、1973年4月5日 - 1980年12月4日放映
- 『旗本退屈男』 : 製作NET/東映、1973年10月2日 - 1974年3月26日放映
- 『がんばれ!!ロボコン』 : 製作NET/東映、1974年10月4日 - 1977年3月25日放映
- 『正義のシンボル コンドールマン』 : 製作NET/東映、1975年3月31日 - 同年9月22日放映
- 『伝七捕物帳』 : 製作国際放映/テレビ朝日、1979年2月11日 - 同年9月23日放映
- 『文吾捕物帳』 : 製作テレビ朝日/三船プロダクション、1981年10月20日 - 1982年4月13日放映
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク