伊保島
伊保島(いほじま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在した無人島で、仲伊保島(なかいほじま)とも呼ばれていた[2]。1980年(昭和55年)より周囲が埋め立てられ、島は消滅した。 地理沖縄本島南部の西約1キロメートルに位置し、東シナ海に存在した[2]。面積は0.46平方キロメートル[注 1]、最高標高は5.4メートル、島の長さは750メートル、最大幅は島北部の150メートルで、北西から南東へ弧をなす細長い島であった[1]。沖縄本島南端部の喜屋武岬まで取り巻く礁湖にあり、島の周囲に広がる遠浅の海岸は「珠数潟原(スズカタバル)」と呼ばれていた[2]。埋め立て前の周辺のサンゴ礁に、報得川から運ばれた泥土が堆積し、干潟がつくられた[4]。地質は第四紀完新世の沖積層で、島北部に海岸砂丘が形成され、戦前まではアダンが生えていた[1]。 歴史沖縄県糸満市に属し、大字の「潮平(しおひら)」のうち、小字は「伊保原(いほばる)」であった[5]。伊保島は白い砂州の島であったことから、「シルシナ」と呼ばれ、「イーフ」、「イーユー」、「シノージ」ともいわれた[5]。 個人所有の島であったとされ[1]、戦前は豊見城市与根(よね)の住民が小作し、ダイコンやスイカなどを栽培していた[5]。しかし、戦後は島の砂を採取するために、干潮時にトラックが往来した[2]。沖縄県は不発弾の最終処理を行うまでの一時保管庫として、1973年(昭和48年)度より伊保島の民間火薬庫を使用し、管理を民間に委託した[6]。その際、不発弾を運搬するための道路が建設され、本島と陸続きとなった[1]。その後、火薬類取締法における地上式一級火薬庫が、1983年(昭和58年)5月に嘉手納弾薬庫地区内に完成した[6]。 1980年(昭和55年)から開始された公有水面埋立事業により、島の周囲は埋め立てられた[5]。埋め立て地の面積は約470ヘクタールにおよび、幅約3.5キロメートルのサンゴ礁は、その幅の3分の2が埋め立てられ、消失した[4]。もとの伊保島周辺は西崎町となり、「潮平」の飛地となっていたが、1993年(平成5年)に西崎町5丁目に編入、小字の「伊保原」は廃止され、2011年(平成23年)現在の伊保島が存在した場所は西崎運動公園の西側にあたる[5]。 脚注注釈出典参考文献
関連項目
外部リンク
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