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京都府道31号西陣杉坂線

主要地方道
京都府道31号標識
京都府道31号西陣杉坂線
主要地方道西陣杉坂線
制定年 1959年昭和34年)京都府認定
1982年(昭和57年)建設省指定
起点 京都府京都市上京区南上善寺町【北緯35度1分47.3秒 東経135度44分32.6秒 / 北緯35.029806度 東経135.742389度 / 35.029806; 135.742389 (府道31号起点)
終点 京都府京都市北区杉阪北尾【北緯35度5分47.9秒 東経135度41分28.0秒 / 北緯35.096639度 東経135.691111度 / 35.096639; 135.691111 (府道31号終点)
接続する
主な道路
記法
京都市道181号京都環状線
国道162号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

京都府道31号西陣杉坂線(きょうとふどう31ごう にしじんすぎさかせん)は、京都府京都市上京区南上善寺町から同市北区杉阪北尾に至る主要地方道に指定された府道である。

概要

市街では千本通、北区鷹峯木ノ畑町(北山通今宮通との交差点)以北の区間は鷹峯街道(たかがみねかいどう)と呼ばれる[注釈 1]。京都市街北部から、丹波国・旧京北町方面への最短ルートであり、国道162号の杉阪口以南の迂回路としての役割も担っている。

路線名の「西陣杉線」・河川名の「杉川」と、地名の「杉」では文字が異なる。

路線データ

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
長坂口と呼ばれていた場所周辺
鷹峯地域に残る御土居
北区大宮釈迦谷から撮影
京見峠横「京見峠茶屋」
道風神社
杉阪集落を抜ける府道31号線

歴史

1895年明治28年)に、現在の周山街道が開かれるまで、鷹峯千束、長坂越を経て杉阪口を通る古道(長坂道)が、周山や若狭に至る主要ルートであった[注釈 2]鯖街道の一つであり、かつては若狭湾で取れた天秤棒に担がれ、夜を徹して道を駆け、京都へ届けられていた[4]。また、『太平記』に「道明長坂を経て越前へ落ち行く」と記され、1336年延元3年)に新田義貞らの軍勢が京へ攻め入ろうとしたとき「その勢三百余騎、白昼に京中を打通って、長坂に打ち上る」とも記されるなど、歴史の舞台にも登場している[5]。杉阪地区では、往来する人々から関所税を徴収する「率分関(そつぶんせき)」が、道路上に設置されていたという[6]

長坂越については、かねてから古道の勾配が極めて急であった。牛馬車が通れるようにするため、1890年(明治23年)に現在の道路の基盤が造られた。しかし、曲がりくねった坂道であったため、肝心の牛馬車の往来にはあまり活用されなかったという[7][出典無効]

現代において本路線は、道路法(昭和27年法律第180号)第7条の規定に基づいた京都府の一般府道として1959年昭和34年)に京都府が初めて認定した282路線のうちの1つである杉坂西陣線および雲ヶ畑下杉坂線の一部を前身としている。同法第56条の規定に基づき、1982年(昭和57年)の第5次主要地方道指定時に建設省が主要地方道に指定したのを受け、京都府が認定内容を杉坂西陣線に変更する形で現在に至る。

年表

  • 1959年昭和34年)12月18日 - 京都府が杉坂西陣線(北区杉坂都町 - 上京区上善寺町)、雲ヶ畑下杉坂線(北区雲ヶ畑中畑町 - 北区下杉坂南谷)として府道路線認定。整理番号はそれぞれ一般地方道5号と一般地方道11号[8][注釈 3]
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 建設省が府道杉坂西陣線、府道雲ケ畑下杉坂線の一部を西陣杉坂線(京都市上京区 - 京都市北区)として主要地方道に指定[9]
  • 1983年(昭和58年)2月1日 - 京都府が府道路線を認定した告示の一部を改正し、同日まで嵐山西院線に割り当てられていた主要地方道31号に西陣杉坂線を充て、一般地方道5号杉坂西陣線を削除する形で主要地方道として発効[1]

路線状況

千本通区間(北区鷹峯木ノ畑町以南)は片側2車線の幹線道路である。以北は車両通行帯のない道路となるが、北区鷹峯北鷹峯町以南は道幅が比較的広いため、離合は容易である。しかし、この先のホテル然林坊から京見峠までの区間、特に大宮釈迦谷地内の山間部分は、連続した急坂、急カーブ、離合困難な狭隘道路が続く。そのため、京北町との合併を機に、バイパス道路の建設を主とした道路整備が進められている[10][11]

民家の点在する杉阪集落周辺では、並行する杉坂川が蛇行していることから、これをまたぐ数多くの小橋が架かっている。北尾3号橋以西は整備された片側1車線道路となり、清滝川に架かる中山橋を経て杉阪口で国道162号(周山街道)に合流する。

交通量

いずれも12時間交通量

  • 京都市北区紫野十二坊町[12]
    • 13,395台(2005年) / 13,000台(2010年) / 11,902台(2020年)
  • 京都市北区杉阪北尾下杉阪[13]
    • 659台(2005年) / 680台(2010年) / 541台(2020年)

地理

鷹峯街道沿いの、御土居と交差する付近(北区鷹峯旧土井町、上ノ町、藤林町周辺)を、京の七口の一つ長坂口と呼んでいた。

通過する自治体

交差する道路

京都市上京区
京都市北区

沿線

脚注

注釈

  1. ^ 千本通は、鷹峯街道の鷹峯交差点以南区間を指す
  2. ^ 従って、その時代によって「周山街道」「丹波街道」などとも称された
  3. ^ 京都府の一般府道は、1994年4月1日に再編されるまで1から起番しており、主要地方道と重複する番号も存在していた。

出典

  1. ^ a b c d “府道路線の認定に関する告示等の一部改正(昭和58年京都府告示第65号)”, 京都府公報 (京都府) 第5720号: pp. 82-84, (1983年2月1日) 
  2. ^ 京都市認定路線網図”. 京都市. 2021年5月3日閲覧。
  3. ^ 京都市認定路線網図”. 京都市. 2021年5月3日閲覧。
  4. ^ リレー学区紹介-鷹峯学区”. 京都市情報館. 京都市北区役所. 2010年12月17日閲覧。
  5. ^ 貴重な自然と文化を育んだ京都北山”. 津原重久. 2004年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月17日閲覧。
  6. ^ リレー学区紹介-中川学区”. 京都市情報館. 京都市北区役所. 2010年12月11日閲覧。
  7. ^ 写真紀行・旅おりおり 長坂口”. uchiyama.info. 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月18日閲覧。
  8. ^ “府道路線の認定(昭和34年京都府告示第858号)”, 京都府公報 (京都府) 号外: pp. 13-21, (1959年12月18日) 
  9. ^ “道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 (昭和57年建設省告示第935号)”, 官報 (国立印刷局) 号外第21号: pp. 18-63, (1982年4月1日) 
  10. ^ 主要府道 西陣杉坂線”. 京都市情報館. 京都市建設局道路建設部道路建設課. 2010年12月11日閲覧。
  11. ^ “西陣杉坂線 西中尾工区/釈迦谷工区 バイパス整備を計画 道路予備設計を業務委託”. 京都建設タイムズ. http://www.kyoto-kensetsutimes.co.jp/News/SearchNews/News_Old/Kyoto/kyoto2007-03-19-101.html 2010年12月11日閲覧。 
  12. ^ 交通量調査票 Q40240” (PDF). 平成27年度 全国道路・街路交通情勢調査. 京都市. 2021年5月3日閲覧。
  13. ^ 交通量調査票 Q40260” (PDF). 平成27年度 全国道路・街路交通情勢調査. 京都市. 2021年5月3日閲覧。

関連項目

外部リンク

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