光悦寺
光悦寺(こうえつじ)は、京都市北区鷹峯光悦町にある日蓮宗の寺院。山号は大虚山。本尊は十界大曼荼羅。旧本山は京都本法寺。親師法縁。鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地にある。 境内江戸時代の芸術家である本阿弥光悦は、慶長年間(1596年 - 1615年)の初年にはこの地に別宅を構えていたが、元和元年(1615年)に徳川家康により付近一帯の土地を与えられた。『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な地であったという。 元和5年(1619年)になり本格的にこの地に移り住んだ光悦は、一族や様々な工芸の職人とその家族ら100人以上を集住させて一大芸術村、いわゆる光悦村を作り上げた。また自らの屋敷の近くに法華題目堂を建立している。 光悦の死後の明暦2年(1656年)、屋敷と法華題目堂は日蓮宗の日慈を開山として整備され光悦寺となった。 本阿弥光悦は茶道においても一流儀に偏することなく、古田織部や織田有楽斎にも教えを受け、また千宗旦とも深く交わって茶道の奥義を極めた。境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの茶室が散在し、さらに庫裏に接して妙秀庵があるが、これらはいずれも大正時代以降の建物である。 当寺は本阿弥家が去ると次第に廃れていき、明治時代になると荒廃していたが、大正時代になって復興された。 境内
アクセス参考文献
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