中尾芳広
中尾“KISS”芳広(なかお“キス”よしひろ、1972年6月25日 - )は、日本の男性レスリング選手、総合格闘家。東京都出身。TEAM TACKLER所属。 来歴日本工業大学駒場高等学校、東洋大学卒業後、体育学校に在籍し、レスリングフリースタイルの選手として活躍。 国内では数々の優勝実績を残し、アテネオリンピックのレスリング代表の有力候補であったが、2003年末にオリンピック出場を突如断念し、総合格闘家に転向した。 総合格闘技デビューとなった2003年12月31日のK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!では、バルセロナオリンピック柔道95kg級金メダリストであるダビド・ハハレイシビリと対戦し、パウンドによりタップアウト勝ち。 2004年5月22日、K-1 ROMANEXでドン・フライと対戦するも、偶発的なバッティングによるフライの出血で無効試合となった。その後大晦日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で再戦し、判定勝ちを収めた。 2005年6月14日、K-1ルール初挑戦。K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPの1回戦でボブ・サップとK-1ルールで対戦し、判定負け。 2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!でヒース・ヒーリングと対戦。試合前のリング中央での睨み合いの最中に、中尾はヒーリングの唇にキスをしてしまう。これによって激怒したヒーリングから不意の右フックを顎に受け失神。試合続行不可能となり、担架で控室へ運ばれた。裁定は一旦はヒーリングの反則負けと判定されたが、その後K-1イベントプロデューサー谷川貞治が「過剰な挑発をした中尾選手にも非がある」とし、無効試合に改められた。 中尾は過度のダメージで病院で年越しを迎えたが、病院のベッドで中尾が見た初夢はまたもや「ヒーリングにキスをした」夢であった。当時はヒーリングへの復讐に燃えており「KO勝ちした後で、ダウンしているヒーリングにキスをすることが目標だ。」と週刊誌の取材[信頼性要検証]に答えたが、2006年3月に再戦のオファーがあるも断った。 2006年6月、PRIDEへの電撃参戦を表明。このころから中尾は「キス魔」「バイセクシュアル」のキャラクターを前面に出すようになり、移籍直後の会見でも対戦相手についてニヤリと笑いながら「カッコいい男がいい」とコメント。DSE榊原信行社長もこれを受けて「いい男を用意するように言われた。またキスがしたくなる様なイケメン選手を用意したい」と返し、日本人選手である中村和裕を対戦相手に指名した。また中尾は前述の「キス騒動」を受けて、リングネームを中尾"KISS"芳広と改名した。 なお、中尾の同性愛的言動はキャラクターであり、実際にゲイというわけではない。 2006年7月1日、PRIDEデビューとなるPRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDのワンマッチでイ・ウンスと対戦し、膝蹴りで左目下を負傷させTKO勝ち。 2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦のワンマッチで中村和裕と対戦。 2007年4月8日、PRIDE.34でエジソン・ドラゴと対戦。1R終盤、袈裟固めからの絞めで一本勝ち。 2008年5月18日、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜でBIG・ジム・ヨークと対戦。2R右フックでダウンを奪いパウンドで追撃しTKO勝ち。 2009年1月4日、戦極の乱2009でアントニオ・シウバと対戦し、左膝負傷によりTKO負け。 2010年3月7日、SRC12で戦闘竜と対戦し、パウンドによるTKO勝ち。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでデイブ・ハーマンと対戦し、0-3の判定負けを喫した[1]。 2012年6月25日、自身のブログで引退を表明した。 2006年12月1日、株式会社ON THE RINGを設立。 2013年4月5日、全株式会社を設立。 2020年4月1日、全Digital株式会社設立をそれぞれ設立している。 2022年9月16日、全日本華僑華人社団連合会主催の、日中国交正常化50周年式典にて、日中友好民間大使に選ばれた[2]。
人物
戦績総合格闘技
キックボクシング
獲得タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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