Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

レフ・グミリョフ

レフ・グミリョフ
Лев Гумилёв
全名 Лев Никола́евич Гумилёв
生誕 1912年10月1日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国サンクトペテルブルク
死没 (1992-06-15) 1992年6月15日(79歳没)
ロシアサンクトペテルブルク
両親

ニコライ・グミリョフ(父)

アンナ・アフマートヴァ(母)
研究機関 サンクトペテルブルク大学
研究分野 歴史哲学歴史民族学トルコ学カルチュラル・スタディーズ地政学宗教学
主な概念 ユーラシア主義、情熱
テンプレートを表示

レフ・ニコラエビッチ・グミリョフロシア語: Лев Никола́евич Гумилёв, ラテン文字転写: Lev Nikolayevich Gumilev; 1912年10月1日 - 1992年6月15日)は、ソビエト連邦歴史家民俗学者人類学者レフ・グミリョーフとも。「激情の理論ロシア語版」で知られ、ソ連崩壊後のロシア・ナショナリズムやネオ・ユーラシア主義に影響を与えた[2]

生涯

ロシア帝国サンクトペテルブルクツァールスコエ・セロー(現プーシキン)出身[3]。父ニコライ・グミリョフ、母アンナ・アフマートヴァは、共に同国の詩人

1944年にソ連赤軍に自主的に入隊、ベルリンの戦いにも参加した。復員後はソビエト連邦諸民族民俗学博物館に勤務したが、1949年にNKVDに逮捕[4]。1956年のスターリン批判で釈放されてからはエルミタージュ博物館レニングラード国立大学で働くなど学者の道を歩む。

業績

彼の学説は、ソビエト連邦の崩壊後のネオ・ユーラシア主義誕生に影響を与えた。

カザフスタン共和国の首都アスタナには、同国の初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフによってL.N.グミリョフ・ユーラシア国立大学が創設されている[5]

参考文献

英語文献

日本語文献

  • 佐藤優『甦る怪物(リヴィアタン)―私のマルクス ロシア篇』第6章、文藝春秋、2009年6月
  • 安井亮平 (1993). “レフ・グミリョーフをめぐってあれこれ”. ロシア史研究 53: 61-67. ISSN 0386-9229. https://doi.org/10.18985/roshiashikenkyu.53.0_61. 

脚注

  1. ^ 安井 1993, p. 65.
  2. ^ 安井 1993, p. 66.
  3. ^ 安井 1993, p. 61.
  4. ^ 安井 1993, p. 62.
  5. ^ ENU. “About University”. 2019年5月30日閲覧。

関連項目

Kembali kehalaman sebelumnya