リヴァーマン
リヴァーマン (Riverman) は、アメリカ合衆国で生産された競走馬およびゲインズウェイファームで繋養されていた種牡馬。 経歴競走馬時代1971年(2歳)競走馬デビュー戦で初勝利を挙げ、続く重賞競走初挑戦となったクリテリウムドメゾンラフィット (G2) では2着となったが、その後は休養に入った。 1972年(3歳)休養を終えて4月に実戦復帰戦を迎えて復帰戦を制すと、続くG1競走初挑戦となったプール・デッセ・デ・プーランも制してG1競走初勝利を挙げた。さらに次のジャンプラ賞 (G2) を制した後はイスパーン賞も制してG1競走2勝目を挙げた。その後はイギリスに遠征し、遠征初戦のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではブリガディアジェラードに敗れての3着、休養を挟んで秋にはチャンピオンステークスに出走したが、またもブリガディアジェラードに敗れて2着となり、この年限りで競走馬を引退した。 種牡馬時代1973年からフランスで種牡馬入りし、1978年にはフランス2歳リーディングサイアーに輝き、1980年からは1800万ドルのシンジケートが組まれゲインズウェイファームで繋養された。自身の輸出後もフランスでは産駒が活躍し、1980年と1981年はフランスリーディングサイアー、1982年には2度目のフランス2歳リーディングサイアーに輝いている。ほかに1991年にイタリアリーディングサイアーとなった[1]。 30歳時の1999年に死亡した。 種牡馬としては、同じくネヴァーベンド産駒のミルリーフと共にネヴァーベンド系の主力種牡馬として活躍し、現在はそのサイアーは細分化してリヴァーマン系と呼ばれ、現在も父系は勢力を保っている。また、トリプティクなど牝馬の活躍馬も多い。 日本においては、競走馬としての産駒が数頭輸入されており、中央競馬でも産駒が勝利している。種牡馬としての産駒は、リヴリアなど6頭が輸入されている。母の父としても優秀で日本ではエリモエクセルとアロンダイトがGI馬となっている。 年度別競走成績
主な産駒
※リヴァーマン系も参照。 ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒は以下のとおり。
血統表
出典・脚注
外部リンク
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