プリンスキロ
プリンスキロ(Princequillo、1940年 - 1964年)はアメリカの競走馬。プリンスローズの産駒で、アイルランド生まれだが第二次世界大戦を避けアメリカで走った。母はコスキラ。 略歴プリンスキロは33戦のうち12の競走に勝ち、9万6550ドルの賞金を獲得した。おもに長距離を走ったステイヤーで、10ハロンから2マイルまでの大レースをいくつか勝っている。その中にはジョッキークラブゴールドカップ、サラトガカップなどが含まれている。 種牡馬としてはステイヤーであったことが敬遠されて当初は人気がまったくなかったが、産駒からヒルプリンスを出したことで人気種牡馬となった。のちにラウンドテーブルなどの名馬を出し1957-1958年の2度アメリカリーディングサイアーを獲得している。アメリカ競馬史上もっとも重要な母の父と言われ、アメリカブルードメアサイアーに8度(1966-1970, 1972-1973)輝きセクレタリアト、ミルリーフ、サンサンなど数々の名馬を輩出した。1964年死亡し、クレイボーンファームに埋葬されている。 血統表
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