ミユキ野球教室
『ミユキ野球教室』(ミユキやきゅうきょうしつ)は、1957年3月17日から1990年3月25日まで日本テレビ系列局で放送されていたスポーツ番組である。一時期を除き、御幸毛織の一社提供冠番組であり、通算1696回放送した。 概要ミユキ野球教室(第1期)初期は番組名が示す様に、野球評論家の中澤不二雄とゲストの野球関係者が野球の技術を講義する教養番組であったが、後にプロ野球情報番組へ転向した。 主に日本テレビが番組製作したことから巨人軍の話題が多く、長嶋茂雄や王貞治ら名選手の貴重な映像財産となった。一時期は読売テレビ (YTV)、広島テレビ (HTV)、名古屋放送 (NBN) → 中京テレビ (CTV)、テレビ西日本 (TNC) → 九州朝日放送 (KBC) → 福岡放送 (FBS) と、プロ野球チームの本拠地がある地域の系列局が製作した回もあり、製作著作のクレジット表記や、番組冒頭のネットワーク表示の先頭に担当局の略称が入ることで判別できた。内容により、前述の系列局が企画ネット番組扱いで同タイトル・スポンサーによるローカル版に差し替えることがあった。実例として、広島テレビが1988年2月に、芝草宇宙や島田直也ほか当時の新人選手の特集を広島東洋カープの春季キャンプ中継に差し替えたことがある。 当初の放送時間は日曜日9時45分 - 10時00分 (日本標準時)の15分番組であったが、1963年に9時30分 - 10時00分の30分番組となった。 野球教室1986年1月に放送時間が日曜11時00分枠へ移動し、ミユキと安田生命、アートネイチャーの3社による複数社提供へ移行してスポンサー社名がない『野球教室』に改題された。 番組の冒頭は、1965年から1985年12月29日を最後に複数社提供へ移行するまでは、ミユキのオープニングキャッチに続いてオープニングテーマをバックにアナウンサーが「御幸毛織提供、ミユキ野球教室」とタイトルコールをナレーションして、放送回数のテロップを表示した。テロップは複数社提供時代も継続し、最終回まで続けられた。地方局製作回の提供読みは、複数社提供になるまで担当局のアナウンサーが担当し、複数社提供時代から最終回までは地方発も日本テレビが担当した。(ローカル差し替え時を除く)。テーマ曲は、初回から黛敏郎が作曲した「スポーツ行進曲」を、11時台へ移行後は、菊池ひみこの「ハリウッド・イリュージョン」やカシオペアの「Solid Swing」を用いた。 ミユキ野球教室(第2期)1988年に、放送時間を15分に縮小し、ミユキの一社提供へ戻りタイトルに再び社名を冠したが、ミユキのオープニングキャッチは用いなかった。1990年3月25日放送をもって終了。33年の歴史に幕を降ろした。最終回は、前年に現役を引退して日本テレビの野球解説者となった中畑清の要望で、番組の途中でミユキのオープニングキャッチを流した。 記念日御幸毛織では、当番組の放送開始日である3月17日を、2024年に「ミユキ野球教室の日」に制定することを決め、日本記念日協会に登録を行っている[1]。 出演者
放送局系列は1990年3月の放送終了時点(別放送局に移行した場合はその移行時点)のもので、太字の局は製作参加局である。主に日本テレビが製作し、放送回によりプロ野球球団本拠所在地の放送局が製作したが、その場合でも番組配信は日本テレビが担当した。なお、NNN/NNS加盟外の放送局の場合、番組冒頭のネットワーク局一覧に表示されない場合があった。テレビ金沢は1990年3月25日のサービス放送時、最終回のみ放送した。テレビ信州・福井放送では『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)などを放送していたため、放送されなかった。
脚注外部リンク
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