マルティン・ヨル
マールテン・コルネリウス・"マルティン"・ヨル(Maarten Cornelius "Martin" Jol, 1956年1月16日 - )は、オランダ・デン・ハーグ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的ミッドフィールダー)。 経歴選手時代オランダのアマチュアチームでプレーしていた彼をFCデン・ハーグが引き抜き、1973年に同チームでプロデビュー。その後、ドイツ、イングランドなどを渡り歩き、1985年に古巣に戻り引退した。 オランダ代表として、10代の頃から各世代別の代表に選出されている。また、A代表としても3キャップを記録した。 指導者時代1991年より、後にFCデン・ハーグと合併する当時アマチュアクラブのADOデン・ハーグを率いる。1996年、ローダJCにて初めてプロクラブの監督に就任。RKCヴァールヴァイク監督時代には2001-02シーズンのエールディヴィジ最優秀監督に選出され、マンチェスター・ユナイテッドFCからアシスタントコーチ就任を打診されるなど、次第にその手腕が注目を集めるようになる。 2004年にRKCの監督を辞任し、トッテナム・ホットスパーFCのアシスタントコーチに就任。シーズン途中に監督だった元フランス代表監督のジャック・サンティニが突然辞任したため、コーチから昇格し監督となった。同シーズンを9位で終えると、翌シーズンから2年連続で同チームをUEFAカップ出場圏内の5位にまで導いた。しかしながら、2007-08シーズンは序盤の不調が響き10月に解任された[3]。 2008年7月からはフーブ・ステフェンスの後任としてハンブルガーSVの監督に就任[4]。2年契約を締結し、一時は優勝を争った。 2009-10シーズンからアヤックス・アムステルダムと3年契約を締結[5]。UEFAチャンピオンズリーグ出場を逃したクラブをリーグ2位へと立て直した。CLで敗退しリーグにおいても4位となっていた2010年12月6日、辞任することを表明した[6]。 2011年6月、フラムFC監督に就任[7]。ムサ・デンベレをFWからMFにコンバートさせ才能を開花させるなど選手を育てた。しかし2013年12月1日、直近のリーグ戦5連敗で降格圏の18位に低迷したため、解任された[8]。 2016年2月25日、エジプト・プレミアリーグのアル・アハリに指揮官として招聘される。シーズン途中から率いたクラブをリーグ優勝に導いた[9]。しかしサポーターによるクラブ襲撃や自身への脅迫を理由に、就任から半年後の8月18日に辞任した[10]。 2019年1月30日、兄弟のコック・ヨルと共に古巣SVVスヘフェニンゲンのテクニカルディレクターに就任した[11]。 監督成績
タイトル選手時代ADOデン・ハーグ
指導者時代ローダJC
アヤックス
アル・アハリ
個人
脚注
外部リンク
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