ブレンターノはドイツ観念論のような思弁による概念構成の哲学を退け、経験的立場からの哲学を主張した。ブレンターノはあらゆる社会的現象を整理する力となるのは「心理的法則を知ること、したがって哲学的知識」であると、哲学と心理学を同一視した上で、心理学的探求に従事する使命があると主張した。実際、彼は1872年から73年にかけて心理学に没頭し、その成果は1874年に『経験的立場からの心理学』("Psychologie vom empirischen Standpunkt")の出版によって公表された[21][22]
ブレンターノは1911年に『心的現象の分類について』(Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)を出版した。この書物は、以前に出版された『経験的立場からの心理学』(Psychologie vom empirischen Standpunkt)の第2部第5章以下を本文としており、それに11篇の短文が「考え方の訂正と展開、ならびに解説と擁護のための覚書」という表題のもと、付録として付け加えられてできていたが、ここでブレンターノは以前のデカルト主義的な考えの訂正を行なった[26]。
「すべての心的現象は、中世スコラ学者たちが対象の志向的(または精神的)内在と名づけたもの、そしてわれわれが内容[対象]との関係、対象への方向(ここで対象というのは実在性の意味に解すべきではない)、あるいは内在的対称性と名づけられるところのものによって特色づけられる。すべての心理現象は、そのおのおのが同じ仕方においてではないにしても、対象としてのあるものを内に含む。表象においては、あるものが表象され、判断においてはあるものが承認されるか否認されるかいずれかであり、愛においては何かが愛され、憎においては何かが憎まれ、欲望においては何かが欲せられる。こうした志向的内在は心的現象に専ら固有である。物的現象はこれに似たものを示さない。したがってわれわれは、心的現象とは志向的に対象をみずからの内に含む現象であると言うことによって、かかる現象を定義することができるのである」(Psychologie, I, S 124f. ) — (『ブレンターノの哲学』 小倉貞秀著 79ページ 7〜14行目より引用[29])
彼はまた、"Wahrnehmung ist Falschnehmung"(「知覚は誤解である」)、つまり知覚が誤っていると主張することでもよく知られる。実際、彼は、外的な感覚的知覚は、知覚された世界の現実の存在性について何も教えてくれず、それが単に幻想である可能性があると主張した。しかしながら、我々は我々の内的知覚は絶対的に確信することができる。私がある音色を聞いたとき、私は現実世界においてその音色が存在したということを完璧に確信するということはできないが、私がそれを聞いたということは絶対的に確信している。私が音色を聞いたという事実に関するこの自覚は内的知覚(internal perception)と呼ばれる。外的知覚、感覚的知覚は、知覚された世界についての仮説を生み出すだけであり、真実を生み出すことはできない。すなわち、彼と多くの彼の学生(特に、カール・シュトゥンプとエドムント・フッサール)は、自然科学は仮説を生み出すだけで、決して数学や純論理学的な普遍的、絶対的な真理を生み出すことはできないと感じた。
しかしながら、「経験的立場からの心理学」(Psychologie vom Empirischen Standpunkte)の再版において、ブレンターノは以前のこの見解を撤回した。彼はその仕事の中で以前の議論をやり直すことなしに理論づけようとしたが、彼は完全に失敗したと言われる。新しい観点では我々が音を聞く時、我々は外部世界から何かを聞いているのであって、内的知覚の物的現象があるわけではない[34]
1874年から1895年にかけて、ブレンターノはウィーン大学においてしばしば論理学についての講義を行った。ブレンターノによれば、論理学は「正当な判断についての学説」であり、論理学は正しい判断に導いていくための手段を教えるという目的によって規定されているものであった[35]。現代において、ブレンターノの判断の理論は、マイヤー・ヒレブラント女史の編集の手による『正当な判断論』(Die Lehre vom richtigen Urteil)を参照することによって知ることができる。
彼が差し当たってまず問題としたのは、判断理論の出発点を形成している存在判断についてであり、彼は「あらゆる判断は、それが定言的形式・仮言的形式・選言的形式のいずれにおいて表されるにしても、意味を少しも変えることなく無主語命題の形式、あるいは私の言い表しによれば、存在命題の形式で表わされうる」と、判断形式の存在命題形式への還元を主張した[36]。なお、ここで「無主語命題」=「存在命題」といっているのは、非人称の es をとる命題のこと(es gibt, es ist)であり、さらに「無主語命題(subjektloser Satz)」という表現は、有名な言語学者フランツ・ミクロシッチから由来するものであった[37]。ブレンターノは判断の考察は言語表現とは独立には不可能であるという見地に立ち、あらゆる判断を無主語命題・存在命題の形式で表そうとしたのである。
存在と非存在の概念は肯定的判断(affirmative judgement)と否定的判断(denial judgment)との真理の概念の相関体である。判断には判断されたものが属する。すなわち肯定的判断には肯定的に判断されたものが、否定的判断には否定的に判断されたものが属する。それと同じように肯定的判断の正当性には肯定的に判断されたものの存在が属し、否定的判断の正当性には否定的に判断されたものの非存在が属する。そして私が、肯定的判断は真である、あるいはその対象は存在していると言うにしても、そしてまた私が、否定的判断は真である、あるいはその対象は非存在であると言うにしても、両者の場合において私は同一のことを言っているのである。同じようにそれゆえ、私がおのおのの場合において肯定的あるいは否定的判断は真であるか、それともおのおのの対象は存在しているか非存在であるかであると言う場合、本質的に同一の論理的原理が存するのである。これに従えば、例えば『ある人は学識がある』という判断の真理の主張は、その対象、すなわち『学識ある人』の存在の主張の相関体であり、そして『石には生命がない』という判断の真理の主張は、その対象、すなわち『生命ある石』の非存在の主張の相関体である。ここでは相関的主張は至るところで不可分に一体である。(Vom Ursprung Sittlicher Erkenntnis; Wahrheit und Evidenz, S. 45 Anm.) — (『ブレンターノの哲学』 小倉貞秀著 114ページ15〜115ページ7行目より引用[40])
ブレンターノの判断理論の問題は、全ての判断は存在論的判断であるという考えであるというところではなく(普通の判断を存在論的なものに変換するのはしばしば非常に困難であるものの)、本当の問題は、ブレンターノが対象と表象の区別を行わなかったというところである。表象はあなたの心の中で対象として存在する。したがって、あなたは A が存在しないと実際に判断することはできない。なぜならば、もしかしたらあなたが表象がそこに無いとも判断するかもしれないからである(全ての判断は表象として判断される対象を持つというブレンターノの考えによれば、これは不可能である)。カジミェシュ・トヴァルドフスキはこの問題を認め、対象は表象と等価であるということを否定することでこの問題を解決した。これは実際にはブレンターノの知覚の理論の変更に過ぎないが、判断の理論においても歓迎すべき結論をもたらす。すなわち、(存在する)表象を持つことはできるが、同時に対象が存在しないという判断もできる。
(1862) 「アリストテレスによる存在者のさまざまな意味について」On the Several Senses of Being in Aristotle (Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (博士論文)) (online)
(1867) 「アリストテレスの心理学、とくに彼のヌース・ポイエティコスの説について」The Psychology of Aristotle (Die Psychologie des Aristoteles, insbesondere seine Lehre vom Nous Poietikos (教員資格論文1865/66)) (online)
(1874) 「経験的立場からの心理学」第1巻 Psychology from an Empirical Standpoint (Psychologie vom empirischen Standpunkt) (online)
(1924–25) (Psychologie vom empirischen Standpunkt) Ed. Oskar Kraus, 2 vols. Leipzig: Meiner. ISBN3-7873-0014-7[44]
(1876) 「どんな種類の哲学者がしばしば時代を画するか」(Was für ein Philosoph manchmal Epoche macht) (プロティノス批判) (Online)
(1889) 「道徳的認識の源泉について」[45]The Origin of our Knowledge of Right and Wrong (Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis) (1902 English edition online)
(1893)「哲学の将来について」(Über die Zukunft der Philosophie)
(1895)「哲学の四段階と斯学の現状」(Die vier Phasen der Philosophie und ihr augenblicklicher Stand)
(1911) 「アリストテレスとその世界観」Aristotle and his World View (Aristoteles und seine Weltanschauung)、「アリストテレスの人間精神の根源についての学説」(Aristoteles' Lehre vom Ursprung des menschlichen Geistes)
(1911) 「心的現象の分類について」The Classification of Mental Phenomena (Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)
(1930) 「真理と明証性」The True and the Evident (Wahrheit und Evidenz)
(1952)「倫理学の基礎づけと構成」(Grundlegund und Aufbau der Ethik)
(1956)「正当な判断論」(Die Lehre vom richtigen Urteil)
(1959)「美学綱要」(Grundzüge der Ästhetik)
(1976) 「空間・時間・連続の哲学的研究」Philosophical Investigations on Space, Time and Phenomena (Philosophische Untersuchungen zu Raum, Zeit und Kontinuum)
Sämtliche veröffentlichte Schriften in zehn Bänden (Collected Works in Ten Volumes, edited by Arkadiusz Chrudzimski and Thomas Binder), Frankfurt: Ontos Verlag (now Walter de Gruyter).
1. Psychologie vom empirischen Standpunkte — Von der Klassifikation der psychischen Phänomene (2008)
2. Untersuchungen zur Sinnespsychologie (2009)
3. Schriften zur Ethik und Ästhetik (2010)
4. Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (2014)
年表
1838年(0歳)
ドイツのマリエンブルグに生誕
1862年(24歳)
処女作『アリストテレスによる存在者のさまざまの意味について』(Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles)を出版。当時の学界の大御所的存在であり、アリストテレス研究者として有名なトレンデレンブルグの賞賛を得た。テュービンゲン大学で学位を得る。
^Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 7.
^Gestalt Theory: Official Journal of the Society for Gestalt Theory and Its Applications (GTA), 22, Steinkopff, 2000, p. 94: "Attention has varied between Continental Phenomenology (late Husserl, Merleau-Ponty) and Austrian Realism (Brentano, Meinong, Benussi, early Husserl)".
^Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 114: "The fact that Brentano [in Psychology from an Empirical Standpoint] speaks of a relation of analogy between physical phenomena and real things existing outside of the mind obviously indicates that he is a realist and not an idealist or a solipsist, as he may indeed be taken to at first glance. Rather, his position is a very extreme representational realism. The things which exist outside of our sensations, he maintains, are in fact to be identified with the ones we find posited in the hypotheses of natural sciences."
^Biagio G. Tassone, From Psychology to Phenomenology: Franz Brentano's 'Psychology from an Empirical Standpoint' and Contemporary Philosophy of Mind, Palgrave Macmillan, 2012, p. 307.
^Robin D. Rollinger, Husserl's Position in the School of Brentano, Phaenomenologica 150, Dordrecht: Kluwer, 1999, Chap. 2: "Husserl and Bolzano", p. 70.
^The first published occurrence of the term is in Brentano's Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis (The Origin of our Knowledge of Right and Wrong) published in 1889 (see Franz Brentano, Descriptive Psychology, Routledge, 2012, "Introduction").
^ abDale Jacquette (ed.), The Cambridge Companion to Brentano, Cambridge University Press, 2004, p. 67.
^Anna-Teresa Tymieniecka, Phenomenology World-Wide: Foundations — Expanding Dynamics — Life-Engagements A Guide for Research and Study, Springer, 2014, p. 18: "[Husserl] entrusts this analysis to a pure or phenomenological psychology whose links with Brentano's descriptive psychology are still clearly visible."
^See Postfix in the 1923 edition (in German) or the 1973, English version (ISBN0710074255, edited by Oskar Kraus; translated [from German] by Antos C. Rancurello, D. B. Terrell and Linda López McAlister; English edition edited by Linda López McAlister).