バグラーン州 (バグラーンしゅう、ペルシア語 : بغلان [ 5] )は、アフガニスタン 北部の州 である。面積は1万8255平方キロメートル(34州中12位)[ 2] 、総人口は約86万人(34州中12位)[ 2] 、人口密度は47人/平方キロ(34州中15位)である[ 2] 。州都はプリ・フムリー 。バグラン県 やバグラン州 とも。
地理
バグラーン州は日本の四国 とほぼ同じ大きさの州である。ヒンドゥークシュ山脈 の北側にあたる。
歴史
青銅器時代・古代
インダス川とアムダリヤ川をつなぐ古代の道路[ 6]
古代のインダス文明 はメソポアミア・ハラッパー路を通じて、金などの貴金属や木材をメソポタミア文明 に輸出していた。ガンダーラ の首都はパキスタン のタキシラ にあり、ジャララバード からプレ・フムリーを経てパンジ川 に達する古道は、ヒンドゥークシュ山脈 を越えてアムダリヤ川 に達する重要な街道の1つだった[ 7] 。
グレコ・バクトリア王国
紀元前4世紀にはアレクサンドロス3世 が地域を征服し、その後グレコ・バクトリア王国 やクシャーナ朝 などが成立し、スルフ・コタル などの町が出来た。
629年、玄奘三蔵 がインドを目指して唐 を出発し、途中でバグラーン州の近くを通過した。当時のバグラーンは縛伽浪国 と呼ばれていた[ 8] 。
独立後
1921年、第三次アフガン戦争の勝利によりアフガニスタンはイギリスから独立した。1933年、国王ザーヒル・シャー が即位した。1942年、プリ・フムリの紡績工場が操業を開始した[ 9] 。
冷戦時代
1989年のアフガニスタンの状況。赤が政府支配地、薄い青がイスラム協会、濃い緑がイスラム党、薄い緑がシーア派政党
バグラーン州は1950年頃はカタガン州の一部だったが、1958年から1964年頃に分割されてバグラーン州とプレ・フムリー州とクンドゥーズ州になった。1964年4月、バグラーン州とプレ・フムリー州が再び合併してバグラーン州になった[ 10] 。第二次世界大戦後、アフガニスタン首相のモハマド・ダーウド・ハーン はソビエト連邦 やアメリカ合衆国 の力を借りて、国内の開発を行おうとした。当初は乗り気ではなかった両国だったが、冷戦対立の下で1950年代後半から本格的な支援を始めた。バグラーン州ではソビエト連邦やチェコスロバキア など東側陣営が重点的に支援を行い、プレフムリー・マザーリシャリーフ間の道路建設[ 11] 、製糖工場や植物性食用油工場の建設[ 12] 、炭鉱開発[ 13] などが行われた。
1973年、ダウード首相のクーデータにより王政が倒され、アフガニスタン共和国 が成立した。1978年、軍部のクーデターによりアフガニスタン民主共和国 が成立した。ギルザイ部族連合 のタラキー 議長が土地改革を断行した為、ドゥッラーニー部族連合 を中心とする伝統的な部族社会は激怒して内戦が勃発。アミーン 議長も内戦を抑えることが出来ず、翌年にはソビエト連邦が軍事介入してアフガニスタン紛争 (1978年-1989年) が始まった[ 9] 。ムジャーヒディーン はパンジシール渓谷 などでゲリラ活動を行ったが[ 14] 、戦費調達のための強制的な課税により住民に不満が高まった[ 15] 。ハザーラ人 で地元のイスマーイール派 教団の指導者であるサイイド・マンスール・ナーディリー は武装信徒を率いて、パシュトゥーン人 やタジク人 を主体とするムジャーヒディーンと一線を画した[ 15] 。1982年、ソビエト連邦はバグラーン州南部にカヤン軍事地域を設立し、イスマーイール派教団に地域を委ねた[ 16] 。またソビエト連邦はキリガイ に国内最大級の補給基地・戦車修理工場を建設した[ 17] 。1984年、ナーリン郡には政府軍の第20歩兵師団が展開していた。しかし政府軍の兵力は少なく、実質的には旅団または大隊規模で、少数の装甲車(BTR-152 とBTR-60 )と民間から徴用したトラックで構成されていた[ 18] 。1988年、共産党政権はジョウズジャーン州のラシッド・ドスタム にウズベク人民兵隊を組織させて、幹線道路を守らせた[ 19] 。バグラーン州ではサイイド・マンスールを上院議員に任命して[ 15] 、武装信徒1万3000人を味方につけた。
冷戦終結後
1989年にソ連軍がアフガニスタンから撤退してもカブールの共産党政権はなんとか持ちこたえていたが、1991年にソビエト連邦が崩壊 すると民兵の間に動揺が走った。1992年、サイイド・マンスールは共産党政権を裏切ってラシッド・ドスタムと共に自立し、カブールの共産党政権を倒したがすぐに内戦が始まった。1994年3月、イスラム協会 (英語版 ) 軍がカブールとタジキスタンの間の輸送路を確保するためにバグラーン州に侵攻して、ヒンジャーン郡やドーシー郡を占領した[ 20] 。イスマーイール派教団は、1995年から1996年頃にバグラーンからプレ・フムリーに州都を移した[ 21] 。1998年8月、ターリバーンはラシッド・ドスタムの根拠地であるマザーリ・シャリーフ を陥落させ、パンジシール渓谷を包囲するためにバグラーン州に侵攻して、州都プレ・フムリーを占領した[ 22] 。
アメリカ同時多発テロ事件以降
バグラーン州では2002年から2012年までの約10年間で、3回の中規模地震が発生している[ 23] 。2002年3月のアフガニスタン北部地震 ([[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw |Mw]]6.1)では、ナリーン郡の1500戸が全半壊して1000人以上が死亡し、数百人が負傷した[ 24] 。
第一回大統領選挙後
2004年10月、第一回の大統領選挙 が実施され、バグラーン州ではユーヌス・カーヌーニー (約39%)が最多得票を得た[ 25] 。同月、地方復興チーム (PRT)としてオランダ軍 が州都に展開した[ 26] 。2005年5月、国際治安支援部隊 (ISAF)がアフガニスタン東部で活動を開始した。9月、第一回の下院選挙 が行われた。2006年10月、バグラーン州の担当が交代となり、オランダ軍に代わってハンガリー国防軍 が州都に展開した[ 27] 。2007年11月、砂糖工場の式典で自爆テロ があり、下院議員など数十人の市民が死亡した。
第二回大統領選挙後
2009年8月、第二回の大統領選挙 が実施された。バグラーン州ではアブドラ・アブドラ 元外相が最多得票(約57%)を得た[ 28] 。2010年3月、バグラニ・ジャディード郡でヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派 (HIG)の部隊がターリバーンと交戦した。HIGはターリバーンと同盟関係にあり、2009年にはクンドゥーズ州の7郡中5郡を紛争状態に陥れ、バグラーン州ではバグラニ・ジャディード郡とブルカ郡を共同支配していた。しかし同盟は決裂し、戦闘に敗北したHIG部隊はアフガニスタン政府に降伏した。HIGはチェチェン やウズベキスタン 、タジキスタン などから兵士を集めており、アフガニスタン北部に3000~4000人の兵力がある。またアルカイーダ に訓練されたサウジアラビア やイエメン の兵士も居る。降伏した部隊の指揮官は元は裕福なビジネスマンで、西洋の攻撃や猥褻な文化や民主主義の押し付けに反発して闘争に加わった[ 29] 。9月、第二回の下院選挙 と州議会選挙が行われたが、戦争は更に激しくなりISAFや民間人の死傷者が急増した[ 30] [ 31] 。2012年6月、州の北部で連続して地震 が発生し地すべり により多数の死傷者が出た[ 32] 。2013年7月、ディ・サラー郡で地元のイスラム教の司祭が女性外出禁止令・化粧品禁止令(ファトワー )を布告し、布告を実行しようとした市長が化粧品店の店主に射殺されるという事件が起きた[ 33] 。
第三回大統領選挙後
2014年4月、第三回の大統領選挙 が実施され、バグラーン州ではアブドラ・アブドラ 元外相が最多得票(約60%)を得た[ 34] 。12月、ISAFが終了し多国籍軍は確固たる支援任務に移行し、治安はアフガニスタン軍や警察が独力で維持することになった。
2015年6月、ターリバーンがバグラニ・ジャディード郡のアリ・カジャ基地(Ali Khaja)を包囲した[ 35] 。10月、近隣でクンドゥーズの戦い が起きた。政府軍は陸路や空路で増援を送ったが、陸路で向かったアフガニスタン軍の増援部隊800人[ 36] は州北部のバグラニ・ジャディード郡(Baghlan-i-Jadid)[ 37] でターリバーンの待ち伏せ攻撃にあい、地雷 処理[ 36] のために到着が遅れた[ 38] 。同月、アメリカ合衆国のバラク・オバマ 大統領はアメリカ軍の完全撤退を断念した[ 39] 。
2016年2月、ターリバーンは州都の近くのシャハブッディン(Dand-e-Shahabuddin)で送電線を切断した。アフガニスタンはウズベキスタンなどから電力を購入しており、送電線の切断によりカブールで必要な電力の半分が停止し、首都の経済活動に大きな支障が出た[ 40] 。治安軍はシャハブッディンのターリバーンを2017年以降も一掃することが出来ず、シャハブッディンはターリバーンが高速道路などを攻撃する拠点になった[ 41] 。7月、ターリバーンと治安軍は激しい戦闘を続けた。治安軍は高速道路や主要な道路は確保できているものの損害が大きく、支配領域を拡大する余裕はなかった[ 42] 。8月、ダハネ・ゴリ郡がターリバーンに占領された[ 43] 。
2017年1月、ターリバーンが州南部のタラ・ワ・バルファク郡(Tala Wa Barfak)で炭鉱労働者を殺害した[ 44] 。3月、ターリバーンはバグラニ・ジャディード郡のマンガラ基地(Mangalha)とアラーヴッディン基地(Alavuddin)を1か月包囲した[ 45] 。同月、ターリバーンがタラ・ワ・バルファク郡を占領した[ 46] 。治安軍はすぐさま反撃したがターリバーンが住宅地に逃げ込んだ為、多くの住宅が破壊された[ 47] 。4月、アメリカ軍の急襲部隊がターリバーンの影の州知事を殺害した[ 48] 。同月、ターリバーンが州都プレフムリーの北地区(PD1)を攻撃し、市民に犠牲者が出た[ 49] 。同月、ターリバーンはバグラン・クンドゥーズ間の高速道路を封鎖して、民間人を殺害した[ 50] 。5月、ターリバーンは州都の東にあるブルカ郡(Burka)を攻撃した[ 51] 。7月にもターリバーンは高速道路で石油タンカーを破壊した[ 52] 。同月、治安軍はバグラニ・ジャディード郡のターリバーンを一掃した[ 53] 。8月、ターリバーンは高速道路を使って州都の南にあるドーシー郡(Doshi)に侵攻したが、特殊部隊に撃退された[ 54] 。同月、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ 大統領は状況の悪化を防ぐために増派を決定した[ 55] 。10月、アフガニスタン政府の支配地域は407郡中231郡(57%)にすぎないことが判明した。政府とターリバーンは122郡(30%)の支配を争っており、ターリバーンが54郡(13%)を支配していることが分かった。ターリバーンの支配地域は2015年11月から2017年8月の間に倍増しており、紛争地域も1.4倍増加した。ウルズガーン州 (7郡中5郡)やクンドゥーズ州 (7郡中5郡)、ヘルマンド州 (14郡中9郡)はほぼターリバーンに支配されていた[ 56] 。
2018年5月、ターリバーンが州南部のタラ・ワ・バルファク郡を占領した[ 57] 。8月、ターリバーンがバグラニ・ジャディード郡のアッラーフッディン基地(Allahuddin)を攻撃し、治安軍に大きな被害が出た[ 58] 。10月、延期されていた第三回の下院議会選挙 が行われた[ 59] 。2018年の調査によると、州政府に満足している住民は約5割で、かつては自立に前向きだった女性も自信を失っていた。治安上の理由で約6割の住民が投票に行くのは怖いと感じており、住民感情が国内最悪の水準に低下した[ 60] 。11月、州内は14郡中1郡がターリバーンに支配されており、全ての郡が紛争状態にあった[ 61] 。アフガニスタン軍と多国籍軍は合同で州都の西にあるダハネ・ゴリ郡(Dahana-e-Ghori)を攻撃した[ 62] 。ダハネ・ゴリ郡は2016年にターリバーンに占領されており、住民の陳情にもかかわらず放置されてきた[ 63] 。
2019年2月、バグラニ・ジャディード郡で警察の検問がターリバーンに襲われ、多数の警官が殺害された[ 64] 。5月、州都プレ・フムリーの警察本部が自動車爆弾で攻撃された後、襲撃を受け多数の警官が死傷した[ 65] 。6月、ターリバーンは州都の東にあるナーリン郡(Nahrin)で警察の反乱鎮圧部隊を攻撃し、多数を殺害した[ 66] 。7月、州の東端の山岳地帯にあるゴザルガ・ヘ・ヌール郡(Gozargah-e-Noor)でパトロール中の警察のハンヴィー がIED で攻撃された[ 67] 。
第四回大統領選挙後
2019年9月、第四回の大統領選挙 が実施された。同月、クンドゥーズ市を襲撃したターリバーンがバグラン・クンドゥーズ間の高速で戦闘を継続し[ 68] 、戦闘や空爆の巻き添えで市民に被害が出て[ 69] [ 70] 、排除するまでに12日間を要した[ 71] 。10月、治安軍はアフガニスタン北部で大規模な作戦を実施し、シャハブッディンなどを攻撃した[ 72] 。同月、ヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派 の地元指揮官が私的な金銭トラブルで隣人を殺害した[ 73] 。
2021年1月、プレ・フムリー市の高速道路にターリバーンが検問所を作り、数ヶ月に渡って通行車両から通行料を巻き上げていることが分かった。市内には複数の政府軍基地が存在するが、軍はターリバーンを放置していた[ 74] 。
8月10日、ターリバーンは州都プレ・フムリーを占領した[ 75] 。一説によると州都を守備していたアフガニスタン軍は戦わずに撤退したと言う[ 76] 。
行政区分
バグラーン州の郡
バグラーン州の地形と郡
1市14郡を擁する[ 2] 。
都市
バグラーン州ではプレ・フムリー市と周辺(約20万人)やバグラーン郡(約17万人)、ナリーン郡やドーシー郡(約7万人)などに多くの住民が居る。人口1万人以上の都市はプレ・フムリー市(約10万人)とバグラーン市(約7万人)である[ 79] 。プレ・フムリー市はアフガニスタンの中では十指に入る都市であり、バグラーン市と合わせるとアフガニスタンの中では比較的に都市住民が多い州であると言える[ 78] 。
産業
農業
バグラーン州の農作物(2012年度)[ 80]
種類
生産量
順位
小麦
24万4000トン
9位
米
11万2206トン
1位
大麦
1万7928トン
10位
とうもろこし
9046トン
15位
綿花
2298トン
5位
アーモンド
1274トン
3位
りんご
120トン
13位
桃
95トン
7位
グレープフルーツ
56トン
22位
ザクロ
12トン
20位
バグラーン州は米 (34州中1位)やアーモンド (34州中3位)、綿花 (34州中5位)の生産が全国的に見ても盛んで[ 80] 、桃 (34州中7位)もかなり生産されている[ 80] 。
鉱業
バグラーン州にはタラ・バルファク炭鉱(Tala Barfak Mines)などの炭鉱がある。タラ・バルファク炭鉱を採掘しているのは国営のNorth Coal Enterprise(北部炭鉱会社、NCE)である[ 81] 。NCEの本社はバグラーン州にあり、サマンガーン州のShabashak炭鉱とDan e Tor炭鉱(Hajigak )も所有している。
災害・事件
2014年、5月に地すべり により約300人が死亡・行方不明になったほか、翌6月には土石流 、鉄砲水 により70人以上が死亡・行方不明となった[ 82] 。
主な出身者
脚注
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関連項目
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参考文献
外部リンク