デジ・ウィルソン
デジー・バーナード・ウィルソン(Desi Bernard Wilson、1969年5月9日[注 1] - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ナッソー郡出身[2]の元プロ野球選手(内野手・外野手)、監督。左投左打。 フェアレイ・ディッキンソン大学時代はバスケットボールのフォワードとしても活躍した。 来歴・人物1987年のMLBドラフト15巡目(全体396位)でボストン・レッドソックス、1989年のMLBドラフト87巡目(全体1490位)でヒューストン・アストロズからそれぞれ指名されたものの、いずれも契約せず。フェアレイ・ディッキンソン大学在籍時の1990年には、全米大学体育協会のノースイースト・カンファレンス男子バスケットボール部門にて最優秀選手に選ばれている。 1991年のMLBドラフト30巡目(全体794位)でテキサス・レンジャーズに指名されて契約。レンジャーズでのメジャーでの出場はなく、1994年12月22日にジョン・バーケットとの交換トレードでリッチ・オーリリアとともにサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。1996年はAAA級で高打率をマークし、8月7日にメジャー初昇格を果たし41試合に出場した。1997年もAAA級で高打率をマークするものの、メジャー昇格はならなかった。 1998年に第三の外国人選手として、NPBの阪神タイガースに入団[2]。当時、一軍の外国人枠の野手人数は2人だったが、1998年の阪神にはデーブ・ハンセン、アロンゾ・パウエルがいたため、その2人との兼ね合いも重なり、1998年における一軍での出場は16試合にとどまる。二軍でも目立った成績を残せず、同年オフに自由契約となった[2]。 1999年および2001年はアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下、2000年はシカゴ・ホワイトソックス傘下のAAA級でプレー。2002年から2007年まではサマセット・パトリオッツを皮切りに、延べ8球団のアメリカ独立リーグのチームでプレーした。2007年に1年だけ活動したサウス・コースト・リーグでは、アンダーソン・ジョーズとサウスジョージア・ピーナッツで選手兼任監督を務めた。 2009年からシカゴ・カブスの傘下A+級で打撃コーチを務め、2013年にはAA級の打撃コーチに昇格した。 2021年現在はカブス傘下AAA級アイオワ・カブスの打撃コーチを務める。 長身から「大きな単位」を意味する「ユニット」というあだ名があった。ジャッキー・ロビンソンを尊敬しており、阪神時代の背番号は彼と同じ42だった。体格に似合わぬ俊足の持ち主で、体当たりプレーが身上だった。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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