セリエA (エクアドル)
カンペオナート・エクアトリアーノ・デ・フトボル・セリエA(西: Campeonato Ecuatoriano de Fútbol Serie A)は、エクアドルにおけるプロサッカーの最上位リーグである。2024シーズンからは、スポンサーシップによりリーガプロ・エクアベット(LigaPro Ecuabet)とも呼ばれる[1]。 歴史エクアドルにおけるすべてのサッカーリーグは1950年までアマチュアであったが、同年にアシスアシオン・デ・フトボル・デル・グアージャス (AFG) がプロリーグに移行した。グアヤキルに所在するAFG加盟のクラブ間で1951年にカンペオナート・プロフェシオナル・デ・フトボル・デ・グアヤキルが初開催され、リオ・グアージャスが初代王者となった。1954年、ピチンチャ県にあるサッカー連盟(現在のアソシアシオン・デ・フトボル・ノ・アマチュア・デ・ピチンチャ、AFNA)もプロリーグ化した。 キトとアンバートに所在するAFNA加盟のクラブ間で同年にカンペオナート・プロフェシオナル・インテランディーノが初開催され、LDUキトが初代王者となった。これらふたつの大会がエクアドルにおける最高峰の大会と位置づけられたが、それぞれの優勝クラブは自らこそが国内王者であると主張することはなかった。この状況は1957年に変化し、両リーグ優勝クラブが全国タイトルを決める大会が組織された。同年のカンペオナート・エクアトリアーノ・デ・フトボルにはCSエメレク(グアヤキル優勝)、バルセロナSC(グアヤキル準優勝)、デポルティーボ・キト(インテランディーノ優勝)、SDアウカス(インテランディーノ準優勝)が参加し、CSエメレクが初代国内王者となった。1958年と1959年はカンペオナート・エクアトリアーノ・デ・フトボルが行われていない。1960年には参加クラブ数が4クラブから8クラブに増やされ、1957年同様の形式でトーナメント戦が行われた。この方式はいくつかの変更を経ながら、1967年シーズン後の地域大会廃止まで続いた。 1968年にはプリメーラ・カテゴリア(1部)とセグンダ・カテゴリア(2部)という名称の全国リーグが初開催された。1971年にはプリメーラ・カテゴリアがセリエA(1部)とセリエB(2部)の2部に分割され、セグンダ・カテゴリアは3部という位置づけになった。1983年から1988年の間はセリエBがセグンダ・カテゴリアと統合されていたが、セリエAはそれまで通り継続していた。1989年にセリエBが復活し、それ以来2部として継続している。2005年はアペルトゥーラとクラウスーラ(前期リーグと後期リーグ)のそれぞれで優勝クラブが決定されたが、2006年には以前の方式に戻された。 2011年には、IFFHSによって南米第6位・世界第14位のサッカーリーグに位置づけられた[2]。 2010年代半ばからは、インデペンディエンテ・デル・バジェがコパ・リベルタドーレスで準優勝(2016)とコパ・スダメリカーナで2回の優勝(2019、2022)、レコパ・スダメリカーナ優勝(2023)、LDUキトもコパ・スダメリカーナで優勝(2023)するなど国際大会で成績を残した。これによりIFFHSの世界リーグランキングで2022年は11位、2023年は17位と2年連続でトップ20入りを果たした[3]。 大会形式→詳細は「エクアドルのサッカーリーグ構成」を参照
セリエAの大会形式は絶えず変化してきた。2ステージ制であった期間が最も長く、リギージャ(予選リーグ)と呼ばれるミニリーグを争って優勝クラブが決定された。2019年以降の現行方式では、リーグ戦とプレーオフに分けられている。ファーストステージではホーム・アンド・アウェー方式で全クラブと2戦ずつ戦い、上位8クラブトーナメント形式のプレーオフで年間王者をかけて戦う。ファーストステージの通算勝ち点で下位になったクラブは降格となる。優勝クラブ、準優勝クラブ、通算勝ち点で上位のクラブはコパ・リベルタドーレスやコパ・スダメリカーナの出場権を得る。 16クラブで争われ、セリエB(2部)との間で昇降格が行われる。シーズンは2月から12月にかけて行われる。当初のセリエAはリーグ戦ではなく、2つの地域リーグ覇者による全国王者選手権に源がある。当時はグアヤキルとキトでプロリーグが行われており、セリエAの最初の9回は両地域リーグ王者がタイトルを争った。1967年にこの形式が廃止され、本来の意味のリーグ戦となった。創設された1957年以来、1年に1クラブが戴冠するが、2005年のみはアペルトゥーラとクラウスーラそれぞれの最上位クラブが優勝扱いされている。 所属クラブ
結果歴代優勝クラブ
クラブ別優勝回数
都市別優勝回数
統計通算得点数
昇降格記録
脚注
外部リンク |