セクシー・バス・ストップ
「セクシー・バス・ストップ」は、1976年3月5日にビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント〈二代目〉)より発売された、オリエンタル・エクスプレスのインストゥルメンタルのシングル。 概要筒美京平が企画・指揮した覆面ユニット“Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス”の1stシングル[1]で、筒美が“Dr.Dragon"(ドクター・ドラゴン)という変名で企画・指揮し、更に"Jack Diamond”(ジャック・ダイアモンド)という変名で作曲した作品である。 本作の企画が出たのは1975年11月で、ビクター音産洋楽宣伝部の“ハッスル・ホンダ”こと本多慧が「アメリカでは“バス・ストップ[2]”というステップが流行り始めたが、日本ではバス・ストップを踊れる曲が無い。だから日本で踊れる曲を作ってしまおう。」と考えたのが発端である[3]。本多から楽曲作りの依頼を受けた筒美は、フィリー・サウンドを支えたMFSBの日本版を目指し、林立夫(ドラム)、鈴木茂(ギター)、後藤次利(ベース)、矢野顕子(キーボード)によるユニット、“オリエンタル・エクスプレス”を結成。楽曲を制作、完成させる[4]。1976年1月に、ニューヨークのルーズベルト・ホテルで行われた、ビルボード誌主催の“国際ディスコ会議”に本作を出品したところ好評を博し、日本での発売に踏み切る[3]。 日本人の作曲家とミュージシャンが制作、演奏したことを隠し、ビクターから洋盤として発売[3]。その後は売り上げを伸ばし、ニッポン放送の『ポップスベストテン』や、文化放送の『オール・ジャパン・ポップ20』などの、ラジオの洋楽ランキング番組にランクインする[3]。また洋邦の総合チャートであるオリコンシングルTOP100でも、28週にわたりランクイン[5]。最終的には、1976年の洋楽売上チャートで、「ビューティフル・サンデー」に次ぐ2位の売上を記録する[6]。 収録曲
収録アルバム
浅野ゆう子のカバー
解説1976年4月25日にRVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売された浅野ゆう子の8枚目のシングル。インストゥルメンタルだった本作に、新たに歌詞を付けてカバーされる。 歌詞を付けた作品を浅野に歌わせるというアイデアは、日音の村上司によるものである[9]。作曲者である筒美は、当初「インストゥルメンタルとして書いた作品だから…」と難色を示していたが、村上とディレクターの岡村右との話し合いにより納得[9]。作詞は筒美の要望により、橋本淳が担当することになる[9]。またB面には、いしだあゆみの最大ヒット・シングル「ブルー・ライト・ヨコハマ」のカバーバージョンが収録され、オリジナルより約1ヶ月半遅れで発売される。 浅野のカバー盤はチャートTOP10近くまで上昇するヒットとなり、自己最高セールスを記録する[10]。 収録曲
収録アルバム
その他のカバー日本
海外1977年、欧陽菲菲が台湾発売のアルバム『愛的路上我和你』にて、『愛的路上我和你』(作詞:孫儀)という曲名でカバーし、台湾でも人気作品となる。それ以降多くの歌手が同曲をカバーしている。
脚注
関連項目
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