ジョン・ハイデンライク
ジョン・ハイデンライク(Jon Heidenreich、1969年6月28日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。 来歴プロレスラーになる以前はアメリカンフットボールで活動し、1994年から1995年にかけて、オフェンスラインマンとしてカナディアン・フットボール・リーグのシュリーブポート・パイレーツでプレイした後、1996年にはアリーナ・フットボール・リーグのテキサス・テラー、1997年にはNFLヨーロッパのフランクフルト・ギャラクシーに在籍。また、NFLの数チーム(ニューオーリンズ・セインツ、アトランタ・ファルコンズ、ワシントン・レッドスキンズ)のトレーニングキャンプにも参加したが、開幕ロースターに残ることはできなかった。 その後プロレスラーに転向し、UPWでのトレーニングを経て2001年にWWEと契約しているが、その際はWWEに登場しなかった。以降は日本に活動拠点を移し、ZERO-ONEに参戦。その際のリングネームの片仮名表記はジョン・ヘンデンリッチである。ZERO-ONEではネイサン・ジョーンズとのタッグチームで活動していた。 WWE2003年にWWEと契約し、本名のジョン・ハイデンライク名義で同年9月のRAWでデビュー。当初はベビーフェイスとしての登場であった。 OVWに一旦送られてギミックの練り直しを行った後、2004年よりポール・ヘイマンをマネージャーに従え、ハイデンライクのリングネームでスマックダウンにて再デビュー。狂人ヒールとして、自作の詩を読み上げる詩人のギミックで活動する。 ポール・ヘイマンと離れた後も狂人ヒールギミックを継続させ、2004年に行われたJBLとジ・アンダーテイカーのWWE王座戦の最中にアンダーテイカーを襲撃するなどした。 これが発端となり、2005年1月30日、ロイヤルランブルでのテイカーとのキャスケットマッチ(棺桶デスマッチ)へと発展。その際、ジーン・スニツキーと結託してテイカーを棺桶に入れようとしたが、棺桶に隠れていたケインに阻まれ、敗北。 その後、ブッカー・Tとの抗争をきっかけとして友達を求める孤独なキャラクターにギミックを変更すると共にベビーフェイスに転向。また、入退場時に子供たちと共に「ハイデンライク行進」を始めた。以後、MNMに襲撃されているところに救出にきたロード・ウォリアー・アニマルと新生リージョン・オブ・ドゥーム(LOD)を結成。同年7月24日のグレート・アメリカン・バッシュにおいて、MNMからWWEタッグ王座を奪取した。 2005年末から病気欠場することになり、2006年1月17日にWWE側からの復帰日程提案が物別れに終わり解雇された。 インディー団体WWE解雇後、カルロス・コロンが主宰するプエルトリコの団体であるWWC(World Wrestling Council)に参戦。WWCでは2006年10月28日にアバッドから同団体の最高王座であるWWCユニバーサルヘビー級王座を獲得。12月16日にカリートに奪われるが[1]、カリートがWWEと契約しているために同日にタイトルを返還した。結果2度戴冠している。 2007年1月6日にカリートの弟であるエディ・コロンに敗退し同王座を明け渡した[1]。また、ルイジアナを拠点とするAAW(All-American Wrestling)やNWE(Nu-wrestling Evolution)、AWR(American Wrestling Rampage)などのインディー団体に参戦。短期間で多くのタイトルを獲得。 2009年11月、ハルク・ホーガンがオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアに参戦[2]。21日にはブルータス・ビーフケーキ、26日にはピンプ・ファーザーと対戦するがいずれも敗戦している。 得意技
獲得タイトル
他、米インディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。 脚注
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