おはん
『おはん』は、宇野千代による日本の長編小説。またこれを原作としたテレビドラマ、映画、舞台作品。宇野の代表作の一つでもある。 概要1942年、浄瑠璃の取材のため徳島県に訪れていた宇野は、天狗久を中心に取材を行い「人形師天狗屋久吉」を書き上げた。その時に取材をしていた一人の男性の話を元に作品の着想を得る。 1946年、戦時統制で解散を余儀なくされていた自身の会社であるスタイル社が、産業経済新聞社社長前田久吉の支援もあり復興する。1947年12月、休刊していた季刊誌『文體』が復刊し、同時に連載が始まるが、1949年7月に第4号をもって『文體』は廃刊となった。翌1950年、『中央公論』6月号より再掲載され、1957年5月号までの8回の連載で完結した。 連載が完結した翌月の1957年6月、1本にまとめられ中央公論社から単行本が出版された。直後から大きな反響を呼び、「批評の神様」と呼ばれていた小林秀雄が褒めたことで文壇的評価が決定的になった[1]。同年12月に第10回野間文芸賞、翌年には第9回女流文学者賞を受賞し、1961年にはドナルド・キーンの英語訳によりアメリカやイギリスなどでも発売された。晩年のインタビューで、宇野自身、本作が自分の最もよくできた作品であると語っている[2]。 以降、数回にわたり舞台化・映像化されている。 モデル前述の通り、着想を徳島で得たことから人物が話す言葉は阿波弁で描写されているが、舞台は宇野の出生地でもある山口県岩国市で、作品内に登場する地名や建物は岩国に実在するものがある。 1985年、国際ソロプチミスト岩国の認証5周年記念事業として紅葉谷公園に「おはんの碑」が建立した。碑面には作品内の一節が刻まれている。 2003年11月から、市内観光の増加などを目的とし、岩国市交通局により「おはんバス」が運行している。バス車内では初版本や宇野の生涯などが紹介されている[3]。 あらすじ
幸吉は町の芸者・おかよと知り合い、親しい関係となる。妻のおはんはそのことを知り、実家へ身を退ける。7年後、街で偶然おはんと出会い自分に子供が居ることを知った幸吉はおはんとやり直すことを決めたのだが…。 テレビドラマ
1960年版1960年8月14日に、フジテレビ系列の『百万人の劇場』(日曜22:00 - 22:45)枠で単発放送。 キャストスタッフ
1978年版
1978年1月2日から同年1月23日まで、テレビ朝日系列の『ポーラ名作劇場』(月曜 22:00 - 22:54)枠で放映された。全4回。 キャストスタッフ
映画
1984年10月6日公開。配給は東宝。東宝邦画系のチェーンマスターが千代田劇場(後の日比谷映画)から日劇東宝(現・TOHOシネマズ日劇・スクリーン2)へ移行後の第1作であり、同館のオープニング上映作品となった。第8回日本アカデミー賞で多くの賞を受賞している。1985年4月にVHS化、2008年11月にDVD化している。 製作監督を担当した市川崑にとっては、かつて大映と契約していた頃から映画化を企画するも頓挫していた作品であり、映画化を賛同していた妻で脚本家の和田夏十を亡くした直後でもあり、東宝社長の松岡功の協力もあって製作が実現した。原作の舞台は原作者の想像した世界であるとの解釈の元、映画でも話の舞台は、登場人物の台詞を中途半端な西国言葉にするなど、意図的な抽象化が行われた。また原作が語りの文学であることを考慮し、映像化においてナレーション多様の演出を避け、話の流れを客観的な構成にした上で、洋画『イブの総て』のような物語が反復し、尚且つ原作にはないオリジナルのラストが考案された。撮影には当初、市川と旧知の仲であった宮川一夫の起用が検討されたがスケジュールが合わず、長谷川清の元でチーフ助手をしていた五十畑幸勇が新人起用された。また製作中に本作が日劇東宝の杮落し作品に急遽決定され、元々地味な作品で派手さに欠けると判断した監督の意向を受けたプロデューサーの発案で、歌手の五木ひろしが主題歌に起用された[6]。 キャスト
スタッフ
受賞
舞台1998年1月2日 - 2月28日 芸術座新春特別公演『おはん』
脚注
参考文献
外部リンク |